神社が語る 古代12氏族の正体(祥伝社新書) の感想
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参照データ
タイトル | 神社が語る 古代12氏族の正体(祥伝社新書) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 関裕二 |
販売元 | 祥伝社 |
JANコード | 9784396113704 |
カテゴリ | 歴史・地理 » 日本史 » 一般 » 日本史一般 |
購入者の感想
昔から秦氏や物部氏などについて姓があることは知っていましたが、神社と当時の豪族の関わりと政治状況が判ったような気がします。記録がほとんど現存していない状況で、著者は種々の事柄や書き記された内容を推考してして執筆しています。
神社とは祖先祭祀からスタートした国家神道の宗教施設、なのだが、そこで祭られている祭神は歴史上の敗者であることが多い。記紀の世界において各地の神社は一定の政治勢力として登場するが、その由緒や大和朝廷に従うことになった歴史的経緯などは余り語られず、極めて象徴的に、曖昧にしか描かれない。何故だろう、というモヤモヤした思いがずっとあって、この本を手に取ってみた。
物部氏、蘇我氏、尾張氏、秦氏・・・伊勢神宮や藤原氏を祭る春日大社を除けば、この本に登場するほぼ全てが敗者の神社である。歴史上の敗者であることは記紀に明確に書いてあるのだが、それらを祭る神社は奈良時代以降も社領を与えられ、地元民たちが大事に守ってきた。「敗者は祟る」という基本理解、そして、律令制の名の下で土地と人民を直接支配していた豪族たちの力を削ぎ、中央政府が派遣する官僚に置き換えようとした藤原政権の意図。筆者の歴史解釈はところどころで飛躍があるけれども、基本的なストーリーとしては納得がいった。
記紀の編纂にあたって、当時の権力者たちは「間違った歴史記述を正す」と宣言した。即ち、中国の正史のように、勝者の歴史観を打ち立て、それ以外の歴史解釈を許さないということだ。そうして、日本の古代史は神話の世界に押し込められた。だから、現代において歴史を理解しようとすれば、神話と史跡とかすかに残る民俗を手掛かりに、想像するしかない。この手の本を「筆者の想像にすぎない」と切り捨てる人もいるけど、記紀を鵜呑みにするよりよっぽど生産的ではないか。
物部氏、蘇我氏、尾張氏、秦氏・・・伊勢神宮や藤原氏を祭る春日大社を除けば、この本に登場するほぼ全てが敗者の神社である。歴史上の敗者であることは記紀に明確に書いてあるのだが、それらを祭る神社は奈良時代以降も社領を与えられ、地元民たちが大事に守ってきた。「敗者は祟る」という基本理解、そして、律令制の名の下で土地と人民を直接支配していた豪族たちの力を削ぎ、中央政府が派遣する官僚に置き換えようとした藤原政権の意図。筆者の歴史解釈はところどころで飛躍があるけれども、基本的なストーリーとしては納得がいった。
記紀の編纂にあたって、当時の権力者たちは「間違った歴史記述を正す」と宣言した。即ち、中国の正史のように、勝者の歴史観を打ち立て、それ以外の歴史解釈を許さないということだ。そうして、日本の古代史は神話の世界に押し込められた。だから、現代において歴史を理解しようとすれば、神話と史跡とかすかに残る民俗を手掛かりに、想像するしかない。この手の本を「筆者の想像にすぎない」と切り捨てる人もいるけど、記紀を鵜呑みにするよりよっぽど生産的ではないか。
筆者は「歴史作家」であり「歴史学者」ではないため,仕方のないことかもしれないが,「思い込み」に族よる記述が多かったように思う。自説を述べるのであれば,それを裏付ける「実証」や「論証」が必要であろう。残念ながらその点が未整備である。考古学的に証明されている事項であればその具体的例示が欠かせないだろうし,伝承であればその紹介も必要であろう。タイトルと内容の乖離が大きい点も残念だった。結局のところ,読み手の読解力不足かもしれないが,「何を言いたかったのか」がよく変わらなかった。繰り返すが,「歴史作家」という肩書きの筆者であれば言葉は悪いが「まあこんなもの」なのであろう。
表題だけです。中身はありません。
他の書籍と大差なく、表題につられて購入した自分がバカでした。
他の書籍と大差なく、表題につられて購入した自分がバカでした。