容疑者Xの献身 (文春文庫) の感想
213 人が閲覧しました
参照データ
タイトル | 容疑者Xの献身 (文春文庫) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 東野 圭吾 |
販売元 | 文藝春秋 |
JANコード | 9784167110123 |
カテゴリ | 本 » ジャンル別 » 文学・評論 » ミステリー・サスペンス・ハードボイルド |
購入者の感想
以下ネタバレ注意
石神の計画における決定的な欠陥とは、「自らに無償の献身を施してくれた人に、人殺しの罪を肩代わりさせて生きること」、それがどれ程の苦しみであるか、石神の想像があまりにも至らなかった点にある。
靖子は別に構わない。靖子は「人でなし」とも思える一面が物語中に散見した。こんな状況下にあって工藤に浮き足立ち、時に石神を自らの支配者として捉えた。妻が病の床に伏せている状況下で変わらず店へ通っていた工藤に対し一縷の憤りも見せない。だから、靖子は石神に生涯罪を肩代わりさせることになっても、それで生きていけるだけの精神的図太さがある(それだけのキャラ付けはされている)と私は踏んだ。
しかし、美里は違う。
作中の美里の描写の中で、彼女は常に石神を気にかけていた。それは一見、保身のように捉えることもできるが、それが単なる保身では決して無かったことを、読者は彼女の究極的な行為によって思い知る。工藤に靡く母への露骨な嫌悪感や、石神のことを語る数々のセリフに、石神への「純粋」な感情(恋愛感情ではない)が込められていた事実を思い知るのだ。
石神が捕まった後の美里への事情聴取は、作品中では描写されなかった。そこで美里がどれだけ苦しい思いをしたか想像すると胸が苦しくなる。美里も当初、これ程の苦しさを味わうとは思っていなかったはずだ。それが変わってしまったのは、そこに至るまでの石神の献身があったからである。
石神の献身が、美里を自殺未遂に至らせた。石神が親子を本当に救うためには、石神自身が捕まってはならなかった。或いは、捕まるとするならば、親子にとっての石神がヒーローであってはいけなかった。それは、美里には決して耐えられないからである。そこまで石神の考えが及ばなかったのは、石神の本心では、相手を救うことよりも、相手の役に立つことを望んでしまったからだろう。この作品の哀しさはここにある。
石神の計画における決定的な欠陥とは、「自らに無償の献身を施してくれた人に、人殺しの罪を肩代わりさせて生きること」、それがどれ程の苦しみであるか、石神の想像があまりにも至らなかった点にある。
靖子は別に構わない。靖子は「人でなし」とも思える一面が物語中に散見した。こんな状況下にあって工藤に浮き足立ち、時に石神を自らの支配者として捉えた。妻が病の床に伏せている状況下で変わらず店へ通っていた工藤に対し一縷の憤りも見せない。だから、靖子は石神に生涯罪を肩代わりさせることになっても、それで生きていけるだけの精神的図太さがある(それだけのキャラ付けはされている)と私は踏んだ。
しかし、美里は違う。
作中の美里の描写の中で、彼女は常に石神を気にかけていた。それは一見、保身のように捉えることもできるが、それが単なる保身では決して無かったことを、読者は彼女の究極的な行為によって思い知る。工藤に靡く母への露骨な嫌悪感や、石神のことを語る数々のセリフに、石神への「純粋」な感情(恋愛感情ではない)が込められていた事実を思い知るのだ。
石神が捕まった後の美里への事情聴取は、作品中では描写されなかった。そこで美里がどれだけ苦しい思いをしたか想像すると胸が苦しくなる。美里も当初、これ程の苦しさを味わうとは思っていなかったはずだ。それが変わってしまったのは、そこに至るまでの石神の献身があったからである。
石神の献身が、美里を自殺未遂に至らせた。石神が親子を本当に救うためには、石神自身が捕まってはならなかった。或いは、捕まるとするならば、親子にとっての石神がヒーローであってはいけなかった。それは、美里には決して耐えられないからである。そこまで石神の考えが及ばなかったのは、石神の本心では、相手を救うことよりも、相手の役に立つことを望んでしまったからだろう。この作品の哀しさはここにある。
東野圭吾の人気作品、探偵ガリレオ・シリーズは、これまでに、短編集が三つ、長編作が二つ出版されている。このうち短編集は、科学的トリックやオカルトをテーマに置いたユニークさは評価できるものの、その真相は、ときにマニアック過ぎたり、拍子抜けするほど見掛け倒しに終わってしまっていたりで、率直にいって、その試みは、成功しているとはいい難い。最新の長編作「聖女の救済」も、出来としては、今一つパッとしない。そんな中にあって、シリーズ中の最高傑作というだけでなく、東野圭吾の全作品の中でも、最高傑作の一つといっても過言ではない図抜けた作品が、この「容疑者Xの献身」だ。
この作品の見どころは、何といっても、凄まじいとしかいいようがないトリックの真相と、その結果、明らかとなる、凄まじいまでの純愛だろう。
この作品は、天才物理学者ガリレオと、ガリレオの同級生、天才数学者石神による頭脳勝負という、いかにも読者の興味をそそらずにはおれない設定で進められていくのだが、全ての真相が明らかになってみると、その設定が伊達ではなかったと納得できるのだ。石神の仕掛けたトリックは、2人の間で交わされる数学の難問、「人に解けない問題を作るのと、その問題を解くのとでは、どちらが難しいか」を地で行った、非常によく練り込まれた緻密なものであり、読者の想定レベルを超えた凄まじいものなのだ。
「人は、これほどまでに人を愛することができるのだろうか」、「これほど凄まじい愛情が、この世に存在するのだろうか」とまで考えさせられてしまうこの作品の壮絶なラストを読んでしまうと、科学的トリックやオカルティックな謎をテーマに据えた短編集が、底の浅い陳腐なものに思えてしまう。この作品は、東野圭吾が、ミステリと人間ドラマを高いレベルで融合させることができる彼の原点に立ち返って、探偵ガリレオ・シリーズの新境地を切り開いた素晴らしい作品だと思う。
この作品の見どころは、何といっても、凄まじいとしかいいようがないトリックの真相と、その結果、明らかとなる、凄まじいまでの純愛だろう。
この作品は、天才物理学者ガリレオと、ガリレオの同級生、天才数学者石神による頭脳勝負という、いかにも読者の興味をそそらずにはおれない設定で進められていくのだが、全ての真相が明らかになってみると、その設定が伊達ではなかったと納得できるのだ。石神の仕掛けたトリックは、2人の間で交わされる数学の難問、「人に解けない問題を作るのと、その問題を解くのとでは、どちらが難しいか」を地で行った、非常によく練り込まれた緻密なものであり、読者の想定レベルを超えた凄まじいものなのだ。
「人は、これほどまでに人を愛することができるのだろうか」、「これほど凄まじい愛情が、この世に存在するのだろうか」とまで考えさせられてしまうこの作品の壮絶なラストを読んでしまうと、科学的トリックやオカルティックな謎をテーマに据えた短編集が、底の浅い陳腐なものに思えてしまう。この作品は、東野圭吾が、ミステリと人間ドラマを高いレベルで融合させることができる彼の原点に立ち返って、探偵ガリレオ・シリーズの新境地を切り開いた素晴らしい作品だと思う。