どくとるマンボウ青春記 (新潮文庫) の感想

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タイトルどくとるマンボウ青春記 (新潮文庫)
発売日販売日未定
製作者北 杜夫
販売元新潮社
JANコード9784101131528
カテゴリ文学・評論 » エッセー・随筆 » 著者別 » か行の著者

購入者の感想

旧制高校〜大学時代のマンボウ氏の青春が、おもしろ可笑しく描かれている。
青春時代に友や教師とここまで深く関わり過ごしたことは、なんと幸せなことか!

現代はモノに溢れ、効率的になり、人との関わりもスマートになってしまっている。
一方、本の中では、不器用な人間関係、ハチャメチャな生活、
一見無駄と思わるような日々の生活の中に、現代にない人間的な幸せが描かれていた。

 ドクトルマンボウというと 航海記のほうが有名とは思うが 個人的には この青春記が一番好きである。
 北杜夫の旧制松本高校の高校時代の話であるが 中学生の頃に読んで真剣に旧制高校へ行きたいものだと思った。
 高校受験では大学に進学出来る私立高校にも合格して 親はやんやとそちらを勧めた。が 結局 「旧府立第二中学」であった 某都立高校に進学したのも 本作が大きく影響したことは 今になって思い当たる点である。その都立高校も なかなかバンカラで好ましかったが その間にも 本作をぼろぼろになるまでに読み込んだものである。
 青春という言葉が最近輝きを失っているような気がしてならない この時代ではある。是非 本作が多くの人に読まれることを 40歳になってもまだ青春時代にいるような気がしている (しかし残念ながら)中年の 小生は 祈る。

何と言う回想記であろうか!徳川幕府を倒した明治政府は、その国運を賭けて学制を発布し、西欧の科学と技術の導入に懸命に成った。それには、西欧の文明の包括的な導入が必用条件であり、その為に初等、中等、高等教育の為の学制が打ち出された。

旧制高校とは、初期に高等中学校と称され、帝国大学への予備課程として後に高等学校と称された。戦後の学制変革により、名称は戦前と実態が異なるものとなった。今の様に、学制は単線ではなく複線であった。尋常小学校が四年、高等小学校が三年、その上に尋常中学が五年、その上に、各、高等専門学校と高等師範及び旧制高等学校があった。

今の高等学校は、戦前の五年制尋常中学校の過程と一部重なる、五年卒業の18歳で、高等学校への入学資格を得る。ただ、四修で高等学校に入る秀才も居た訳ですが、旧制高等学校は、今の大学の1〜3年生なのです。その上に帝国大学の4年間がありました。最早、旧制中学も選良の代名詞の旧制高校も存在はしない。残念ながら、信州大学も旧制松本高校とは、別の物だといってよい。

北さんがお書きになる、この青春記は、松本高等学校の回想記であり
旧制中学までは、哲学や文学に縁の無い子供であったが、旧制高等学校に入るやいなや、その様な関心が鬱勃と涌いてきて、まさに、カントよりも「哲学的」な、旧制高校気質の発芽が始まるのだ。空腹を抱え、それでもなお、一心に、健気に、破天荒に生きていた、当時の旧制高校生を描いて、この本の右に出るものは無いだろう。

「教師からして変である」という高等学校の教授であるが、今のサラリーマン教師とは全然異なる、雰囲気を持った教授たちであつた。ある人が言うには、旧制高校は日本帝国の最高の贅沢品であったらしい。人間の人格の厚みの基盤には、教養がある。教養とは、実学的には、一見、何の役にも立たない、文学や芸術、哲学や史学、思想や科学全般にわたる、基礎的知見、雑学と呼べる物だろう。自治と共同生活を通じて、その後の一生の親友を、旧制高校時代に見出した人は多いという。「旧制高校が全人格的、教養主義的人材育成機関であった事の証明は、本書の至る所に見出されるであろう」

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