朝露通信 の感想
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参照データ
タイトル | 朝露通信 |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 保坂 和志 |
販売元 | 中央公論新社 |
JANコード | 9784120046711 |
カテゴリ | 文学・評論 » エッセー・随筆 » 著者別 » は行の著者 |
購入者の感想
保坂さんの小説は特別なストーリーがあるわけではなくただ淡々と日々の出来事が連ねられていくものが多いのですが、本作もそういうスタイルです、というかそれがさらに進んで、むしろエッセイのようです。ひたすら子供時代のことを思い起こされた順に、特に起承転結をもたずに語られていきます。そう、まさに語られるように、まるでラジオで朗読されているように、読んでいる私には感じられました。
前作もそうでしたがこの小説では作者独特の「私は」という言葉のちょっと変わった使い方が出てきます。最初は読んでいてぴんとこなかったのですが、これは「私にとっての現象」であることを強調するための使い方なのかなとあとから思いました。あとがきで作者が述べているように、この小説の主人公は語り手の「僕」ではなく、僕が経てきた時間と光景で、さらに読み手である私たちの時間と光景なのです。僕の光景と読み手の光景がふと共振するとき、間主観性のようなものが立ち上がって、別々の時間を生きた大人がふと繋がる、そんな小説を作者は目指したようにも思われます。
前作もそうでしたがこの小説では作者独特の「私は」という言葉のちょっと変わった使い方が出てきます。最初は読んでいてぴんとこなかったのですが、これは「私にとっての現象」であることを強調するための使い方なのかなとあとから思いました。あとがきで作者が述べているように、この小説の主人公は語り手の「僕」ではなく、僕が経てきた時間と光景で、さらに読み手である私たちの時間と光景なのです。僕の光景と読み手の光景がふと共振するとき、間主観性のようなものが立ち上がって、別々の時間を生きた大人がふと繋がる、そんな小説を作者は目指したようにも思われます。
人は誰でも忘れがたい一瞬の記憶やとぎれとぎれの印象を心の片隅に仕舞い込んで、長い歳月を生きているのだが、折に触れてその光彩が蘇ることもある。
「朝露の消なば消ぬべく恋ひしくもしるくも逢へる隠り妻かも」と柿本人麻呂がうたったように、朝露は儚く消えてしまうが、その一瞬の輝きを眼にした者は、その記憶を終生忘れることはない。
この本では著者の幼少の頃からの人世の歩みをたどりながらそのような朝露の一粒ひとつぶがさながらドビュッシーのピアノ曲のようにとめどなく開陳されてゆく。
というと詩的に聞こえすぎるかもしれなくて、昨年の十一月から半年間にわたって某紙に連載されたこの詩的エッセイを、著者による詰らない、早すぎる、自叙伝の試みとして受け取る人もいるかもしれない。
「朝露の消なば消ぬべく恋ひしくもしるくも逢へる隠り妻かも」と柿本人麻呂がうたったように、朝露は儚く消えてしまうが、その一瞬の輝きを眼にした者は、その記憶を終生忘れることはない。
この本では著者の幼少の頃からの人世の歩みをたどりながらそのような朝露の一粒ひとつぶがさながらドビュッシーのピアノ曲のようにとめどなく開陳されてゆく。
というと詩的に聞こえすぎるかもしれなくて、昨年の十一月から半年間にわたって某紙に連載されたこの詩的エッセイを、著者による詰らない、早すぎる、自叙伝の試みとして受け取る人もいるかもしれない。