日本人はなぜ「小さないのち」に感動するのか (WAC BUNKO) の感想

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タイトル日本人はなぜ「小さないのち」に感動するのか (WAC BUNKO)
発売日販売日未定
製作者呉善花
販売元ワック
JANコード9784898316955
カテゴリ » ジャンル別 » 人文・思想 » 文化人類学・民俗学

購入者の感想

韓国人からの視点から日本的感性の特徴を述べており、それまで当たり前だと感じていたことの多くが実は日本独特であったことを知ることができました。たとえば、受身表現の多用。「誰かに見らえている」「ああ、先に座られちゃった」ひいては「泥棒に入られた」など、自分が明らかに被害者であることについても受身的な表現をすることに著者は驚き、「基本的に、相手を非難しているような能動態の表現を避ける傾向にある」と分析します。
また、人間の感情がまったく述べられず、情景だけを詠んだ歌にも日本人は感動すると指摘します。「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき(猿丸大夫)」。西洋人や中国人、韓国人にとっては、「かつてあった栄光、二度と帰らない輝かしい過去、ありし日の恋人との幸せな時」などを思う、ロマンチシズムやセンチメンタリズムが秋の悲しみであって、上記のような何の主張もない歌のどこがいいのだ、ということになってしまうそうです。ですが著者は言います。「ここでの『かなしき』が単に『悲しき」とか『哀しき』ではあらわせない、独特な『いとおしさ』のこもった情緒であることが、日本語で育ってきた日本人にはよく伝わってきて、自分にも同じようにこの歌と共通の感受性のあることに気づかされるのだと思います」。
われわれ日本人がこのような感性を持っていることが見事に言語化され、はっとされることがとても多かったのですが、同時に「自分はこの感受性を守っていくことができるのだろうか、子供にも持ってもらえるだろうか」とふと考えてしまいました。茨木のり子さんの、「自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ」ではありませんが、本書で述べられた「自然と融合する」独特な感性を保ち続けたいものだと強く思います。

日本人は「親しき仲にも礼儀あり」で、家族や親友であっても、物を借りる時には許可を求め、お礼を言うが、韓国人や中国人は「親しい間柄には礼儀があってはならない」という考えで、許可を求めたりお礼を言うのを「水臭い」と感じるという。大抵の韓国人はそれで「日本人は理解できない」と言って嫌いになるが、呉善花氏は、日本には「間」を置いて相手の気持ちを察するという文化があることに気付く。
呉氏は、来日三年の韓国人女子学生から「日本で生活していると、何だかお寺に入って心の修業をしているような気持になってくるんです」という感想を聞かされた。日本式に「ありがとう」を頻繁に使うようになっていくと、だんだんと本当にそういう気持ちになっていく、小さな物事についても他人に感謝したい気分になってくるのだと言う。呉氏も全く同じ体験をしたという。
また日本人は受け身の言葉(先生に叱られた、同期に先を越された、女房に逃げられた等)をよく用いるが、それは努力をしないで成り行きまかせといった消極的な受け身志向ではなく、積極的に努力をしたうえで受け入れようとする能動的受け身になっているという。日本人は、自分の主体的な働きと自然の働きとが矛盾しないものと感じているように思えるという。
「お陰さま」という言葉も、「自然力の作用」を感じる姿勢からくるものと思われるという。日本人の謙虚さは、この「お陰様」の精神によると思われる。

呉氏は、日本文化と他の国々との違いは、自然と人間との同一視から生まれる感受性だという。古事記には、「木や草が人間と同じように話した時代があった」と書かれており、また太陽の光に感じて妊娠したとか、風に吹かれて妊娠したといった話がかなりあり、自然と人間を同一で対等なものとみなしていたことがわかる。
その自然に対する感受性に基づいた情緒が、仏教的な無常観と結びついて「もののあわれ」となり、そこから「わび・さび」という美意識が派生したと思える。生命が衰えていく秋という季節に、生命のなんたるかを最も深く感じる日本人の情緒は、他の国にはないものだという。

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