そば打ちの哲学 (ちくま文庫 い 78-1) の感想
参照データ
タイトル | そば打ちの哲学 (ちくま文庫 い 78-1) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 石川 文康 |
販売元 | 筑摩書房 |
JANコード | 9784480430472 |
カテゴリ | » 本 » ジャンル別 » ノンフィクション |
購入者の感想
著者は東北学院大学の教壇でカントを語る傍ら、自らもそば打ちを実践し、幼少期からのそばとの原体験を通じて「哲学」とは間口の広い学問であることを解いている。単なる「そば打ち」の本ではない。そば打ちという行為そのものが、見方によっては、「無数にあるかもしれない哲学への入口」があるものだ、と痛感したまでである。本著を入手したのが大学生協だったか、仙台市内の本屋だったかは忘れたが、さる事情で退学届を提出しなければならなくなり、その道すがらに入手したものであるから、早く先生にお会いできていれば、という悔しさが残る著書でもある。
後半は哲学書らしからぬそばにまつわるエッセーであるが、一応、哲学という学問をふまえている。その中で東京オリンピックでヘーシンクに敗れた神永昭夫さんの実兄とのやりとりの中で、神永さんがコンビニで購入したそばを口に含んだ末期の言葉「おいしい」が、末期の床にあったカントが、水でうすめ、砂糖をまぜたワインを飲んだときの感想「おいしい」であったこととと同じであるという点や、ドイツに旅立つ前に馴染みの手打ちそば屋で「名残そば」をむさぼっていた著者が、その店主に店仕舞した後に特別にそばを振る舞われ、帰国後の再会を約束したまではいいが、ドイツから帰国後に、その場所がどこかわからない、あれは夢だったのか、というくだりが印象に残った。
後半は哲学書らしからぬそばにまつわるエッセーであるが、一応、哲学という学問をふまえている。その中で東京オリンピックでヘーシンクに敗れた神永昭夫さんの実兄とのやりとりの中で、神永さんがコンビニで購入したそばを口に含んだ末期の言葉「おいしい」が、末期の床にあったカントが、水でうすめ、砂糖をまぜたワインを飲んだときの感想「おいしい」であったこととと同じであるという点や、ドイツに旅立つ前に馴染みの手打ちそば屋で「名残そば」をむさぼっていた著者が、その店主に店仕舞した後に特別にそばを振る舞われ、帰国後の再会を約束したまではいいが、ドイツから帰国後に、その場所がどこかわからない、あれは夢だったのか、というくだりが印象に残った。