アイドル進化論 南沙織から初音ミク、AKB48まで(双書Zero) の感想

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タイトルアイドル進化論 南沙織から初音ミク、AKB48まで(双書Zero)
発売日販売日未定
製作者太田 省一
販売元筑摩書房
JANコード9784480864086
カテゴリジャンル別 » エンターテイメント » 演劇・舞台 » 演劇

購入者の感想

 著者はあとがきを「進化論」への言及から書き起こし、ウェルズの『タイム・マシン』を経由して、「アイドル(中略)に、いい大人になっても夢中になっている」状況は「進化なのか退化なのか、あるいはその両方なのか」と問いかける。ところがこれは一種のトラップで、その直後で、「しかし大切なのは、二者択一の問いに答えを出すことではない」と問いそのものが廃棄される(p285)。
 こうした宙吊り論法は、ここ数十年の批評的言説の常套だが、しかしこの論法の成否を決めるのは最初にどのような二者択一を提示できるか、だと私は思う。著者は明らかにdegenerationをめぐる議論を踏まえているのだが、アイドルを横目に楽しみながらも自分の人生を賭けるほどにまで熱中したことのない人間としては、「アイドルに夢中になっている人々」を目にして「進化か退化か」などという文明史的な問いを立てた経験もなく、上に引用した「しかし……」の文に、何か身に覚えのない罪で説教されているような不愉快さを抱いてしまう。
 この「しかし……」の文はさらに「もともと『進化論』とは、そうした進化とも退化ともつかぬ混沌たる状況を性急に整理したりせず、可能なかぎりその実態を直視し、現実のさまざまな出来事のざわめきを受け止めようとする方法論だったのではないだろうか」と続くのだが、私はこの主張に無条件には同意しない。上記の二者択一からの流れで見れば、要はアイドル・ファンの自己擁護であり、結論の先延ばしとしか聞こえない。何より、本書の「進化論」が自然史や政治史や経済史、あるいは歌手本人の声質や歌唱力、芸といった「アイドル・システムの外部」について語ることを体系的に禁欲している点に、私は疑問を感じる。

タイトルは「アイドル進化論」であり,帯に「アイドルの社会学」と書かれているので,普通の人は,この本にアイドル文化に関する何らかの統一的な理論や,アイドルと日本社会の相関についての客観的な議論が展開されるのではないかと予想するだろう。ところがこのかなり大部な本を読み進んでいっても一向にそのような気配が感じられない。そして何と「あとがき」に至って「本書は…アイドル文化という混沌たる世界の体験記であり,観察記である」とあって唖然としてしまう。何かシステマチックな学問であるかのような事を仄めかしておいて最後に「混沌でした」と開き直られても困ってしまう。

とは言え,統一的な枠組みで整理しようとした痕跡は認められる。「『愛着』と『批評』の二重の視点」がその代表的なもので,ファンがアイドルを何とも言えず好きだという『愛着』と,アイドルがもっと売れてゆくにはどうしたらよいかと考えてゆくプロデューサー的な『批評』の二つの視点が,アイドルを見守るファンにおいては特徴的だとする。しかし,残念な事にこの枠組みも本書全体を貫く基盤とは成り得ていないように私には思える。

「二重の視点」の枠組みは70年代アイドルの「スター誕生!」などに対しては説得力を持って語られているが,時代が下るにつれて不完全でぶれた論述が増えてくるように感じられる。例えばAKB48においては,「ファンとアイドルが運命共同体になってしまい批評的な視線は弱められてしまう」とあるが疑問だ。運命共同体ならばなおのこと厳しい批評的な視線を注ぐことになるのではないか。結局ファンはそのようなAKB48のプロモーション・システム全体に対する批評的な視線を持つに至るのではないか。また,バーチャルアイドル「初音ミク」は著者によれば,ユーザがファンとしても,あるいはプロデューサーとしても自分の思うがままに操れる理想的な「願望の実現形態」であるはずだ。ならばこれが生身のアイドルを圧する人気を誇っているか,というとそうでもないのではないか。

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