戦前日本の安全保障 (講談社現代新書) の感想

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タイトル戦前日本の安全保障 (講談社現代新書)
発売日2014-08-22
製作者川田稔
販売元講談社
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カテゴリ歴史・地理 » 日本史 » 一般 » 日本史一般

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ざっくり言うと山縣有朋は、日英同盟で英国が、米国との関係は除外するとなったことから、むしろ日露協商によって中国の権益を米英から守ろうとしたが、ロシア革命でこの構想は水泡に帰した。そこで何回目かの日支友好路線に走るが、袁世凱の死や段祺瑞の失脚で失敗する、と。同時に、かえってロシアを継いだソ連との間の関係はシベリア出兵によって決定的に悪化し、アメリカからも疑義が広がり、ドイツとの関係も第一次大戦時の「ごっつぁん参戦」で中国権益を奪うなどして最悪の状態となっていった、と。山縣のロシア接近は、日英同盟の中で英国が、米国との間は条約が適応されない、としたからでしたが、政友会内閣を組織した原敬はこうした現実を踏まえて米英支配下での平和的な交易型軽武装産業国家を目指し、国際連盟の舞台を活用することによって「米国のなすがまま」となる事態を回避しようとしたが、1921年に暗殺された、と。

 蒋介石による北伐が26年に始まるなど中国は内乱状態でしたが、田中内閣の山東出兵などには浜口雄幸は反対していた、と。軍部は張作霖よりも親日的な人物の満蒙での擁立を狙い、爆殺します。1929年に民政党内閣を率いて首相となった浜口雄幸は、東三省の権益については保持する立場でしたが、同時にはワシントン体制の元、ロンドン海軍軍縮条約、不戦条約、中国をめぐる九ヵ国条約などによって対米協調を補完するという原敬の構想を引き継いでいましたが、満州事変の三週間前の1930年に狙撃された傷が元で死去します。

 1920年代の陸軍を統括した宇垣一成も原、浜口的な対米協調を目指していましたが、永田鉄山らの反薩長グループが陸軍内部で実験を握り、ドイツによる対英仏戦は不可避という認識の元、満州の独立を目指す方向に舵を切った、というような感じでしょうか。

明治日本という国家は山縣有朋が作った。戊辰戦争という内戦を経てガラス細工のような明治日本を作った山縣は、この大事な作品を守りたいと思った。その思いが強すぎて、彼は藩閥政府を作り、陸軍官僚を掌握することで自分の息のかかった人間により明治政府をコントロールしようとした。そこまでは誰でも知っている。問題は、その後だ。山縣は確かに優秀な人物だった。ただ山縣はすべてを見通しており、日露戦争の後は日本は引き続き日英同盟を基軸に台頭しつつあるアメリカとの友好関係を軸に外交を展開すべきだと山縣が言っていたという通説があるが、これを川田教授は言下に否定している。

それまで私が読んできた本は、第一次大戦後、日英同盟がアメリカの圧力で廃棄され、四カ国条約、九カ国条約を基軸とするワシントン体制に移行したことで日本は外交の基軸を失い漂流しはじめたがごとき話ばかりであった。第一次大戦までは日英同盟は生きており、現に日英同盟に基づいて日本はドイツに宣戦を布告し地中海にも駆逐艦を派遣したと説明を受けてきた。ところが川田氏によれば、日英同盟はそれより遥か以前の日露戦争直後から空洞化し始めており、山縣ら日本政府首脳は日英同盟では心もとないとして、また増大する一方のアメリカとの摩擦に対抗するには日本と並んでアジアに巨大な兵力を展開する仇敵ロシアと結んで、つまり、日英同盟に代わって日露協商を結び、これを日露同盟に格上げすることで日本の安全を保障しようと大きく舵を切っていったというのである。確かに山縣は様々な言葉を残している。アメリカとの関係にも配慮が必要だと山縣も言っている。しかし、全体としてみると、山縣は、原敬とは異なり、アジアに強大な陸軍力を持つ日露の提携を通じて中国を確保する路線を強力に推進し、それがその後の日本の躓きの石になったと川田教授は言うのである。

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