歴史の嵯峨面 「2021年 干支面(丑・うし)」 藤原孚石作 【smtb-k】【ky】
参照データ
商品名 | 歴史の嵯峨面 「2021年 干支面(丑・うし)」 藤原孚石作 【smtb-k】【ky】 |
店舗 | 京都嵐山いしかわ竹の店 |
ジャンル | 101229 |
商品の特徴
【送料無料】
歴史のある古和紙のお面「嵯峨面」 藤原孚石作 魔除けのご利益 磐若 赤鬼 青鬼 仏像(赤) 厄除けのご利益 武悪 飛出 うそふき(ひょっとこ) 小督(若女) 仏像(青) 火伏せのご利益 長寿のご利益 天狗 カラス天狗 百歳(長寿) 翁 福寿のご利益 お多福 福ゑびす 大黒 寿猿 仏像(黄) その他のご利益 カッパ(水難除け) 稚児(家内安全) 観音(家庭円満) 干支面はこちらをクリックでどうぞ 2021年 干支面(丑・うし) ≪送料無料≫ ご予約販売になります。
現在制作中につき今しばらくお待ち願います。
仕上がり次第発送いたします。
現在たくさんのご予約をいただいております。
※お届けまで一ヶ月ほどお時間を頂戴する場合がございます。
サイズ:約18.5×17.5cm ※恐れ入りますが、以下 あらかじめご了承くださいますようお願いいたします。
・嵯峨面は、一人の職人が一つずつ手作りしています。
天候に左右され、乾燥に時間がかかることがあるため、作業に遅れが生じる場合がございます。
配送日時をご指定いただきましてもご希望に副えない場合がございます。
・手作りの為、色合いなど画像と異なる場合がございます。
・一日でも早くお届けできるよう作業しておりますが、たくさんのご注文をいただいておりますため、お届けまで一ヶ月ほどお時間を頂戴する場合がございます。
ご質問等ございましたら、【商品についての問い合わせ】ボタンよりお問い合わせくださいませ。
お面に色付けをする藤原孚石氏 石こうでできた顔の型に合わせて、十センチ四方程度に切った和紙を幾重にも張っていく。
和紙は、明治初期の和本をばらしたものを使う。
「それ以降のものは紙に“こし”がなく、しっかりとした面ができない」 最後に張る「内張り」で、鬼や天狗の面には漢詩や歴史書を使い、稚児やお多福などには、かな文字の多いものを用いる。
細やかな心遣いで、面の裏側にも表情を持たせる。
工房の棚で二日ほど乾燥させたあと、型からはずし、さらに数日間の陰干し。
ようやく絵の具で色を付ける。
「和紙の温かい素材感を失わないように」注意して下地の色を塗っては乾かす作業を数十回繰り返し、最後に表情を描く。
嵯峨面は嵯峨釈迦堂(清凉寺)で行われていた狂言の面を模して作られたのが始まり、といわれる。
江戸後期以降、厄よけ、魔よけとして、寺社で販売されていたが、昭和初期には完全に途絶えてしまった。
復活させたのが、藤原さんの父、初代孚石さん。
学生時代から面作りを手伝ってきた藤原さんが、後を継ぐのは自然の流れだったという。
父がくれたアドバイスは「おまえはおまえの面を作れ」の一言だけ。
以来、常に試行錯誤を続け、心和ます「味のある表情」づくりを目指す。
父の作品をまねてみたこともあったが、わざと作ってできるものではなかった。
「やはり作り手が人生を経ないと『味』は出てこない。
人生の顔と同じでね」と笑う。
現在制作中につき今しばらくお待ち願います。
仕上がり次第発送いたします。
現在たくさんのご予約をいただいております。
※お届けまで一ヶ月ほどお時間を頂戴する場合がございます。
サイズ:約18.5×17.5cm ※恐れ入りますが、以下 あらかじめご了承くださいますようお願いいたします。
・嵯峨面は、一人の職人が一つずつ手作りしています。
天候に左右され、乾燥に時間がかかることがあるため、作業に遅れが生じる場合がございます。
配送日時をご指定いただきましてもご希望に副えない場合がございます。
・手作りの為、色合いなど画像と異なる場合がございます。
・一日でも早くお届けできるよう作業しておりますが、たくさんのご注文をいただいておりますため、お届けまで一ヶ月ほどお時間を頂戴する場合がございます。
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お面に色付けをする藤原孚石氏 石こうでできた顔の型に合わせて、十センチ四方程度に切った和紙を幾重にも張っていく。
和紙は、明治初期の和本をばらしたものを使う。
「それ以降のものは紙に“こし”がなく、しっかりとした面ができない」 最後に張る「内張り」で、鬼や天狗の面には漢詩や歴史書を使い、稚児やお多福などには、かな文字の多いものを用いる。
細やかな心遣いで、面の裏側にも表情を持たせる。
工房の棚で二日ほど乾燥させたあと、型からはずし、さらに数日間の陰干し。
ようやく絵の具で色を付ける。
「和紙の温かい素材感を失わないように」注意して下地の色を塗っては乾かす作業を数十回繰り返し、最後に表情を描く。
嵯峨面は嵯峨釈迦堂(清凉寺)で行われていた狂言の面を模して作られたのが始まり、といわれる。
江戸後期以降、厄よけ、魔よけとして、寺社で販売されていたが、昭和初期には完全に途絶えてしまった。
復活させたのが、藤原さんの父、初代孚石さん。
学生時代から面作りを手伝ってきた藤原さんが、後を継ぐのは自然の流れだったという。
父がくれたアドバイスは「おまえはおまえの面を作れ」の一言だけ。
以来、常に試行錯誤を続け、心和ます「味のある表情」づくりを目指す。
父の作品をまねてみたこともあったが、わざと作ってできるものではなかった。
「やはり作り手が人生を経ないと『味』は出てこない。
人生の顔と同じでね」と笑う。