なぜ古典を勉強するのか: 近代を古典で読み解くために の感想
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参照データ
タイトル | なぜ古典を勉強するのか: 近代を古典で読み解くために |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 前田 雅之 |
販売元 | 文学通信 |
JANコード | 9784909658005 |
カテゴリ | ジャンル別 » 文学・評論 » 評論・文学研究 » 日本文学研究 |
購入者の感想
いわゆる一流大学では、古典重視の風潮が続いています。
というのも、結局は古典作品の分析から多くの叡智が得られるからで、
学生は古典(より狭くは古文・漢文か)の読み解き方を、受験生時代に仕込まれます。
ところで、今度はそのアクチュアリティということになるのですが、
それは同著者がいうように、近代という新しい時代を古典的視野に立って逆照射しうる、
という点に尽きると思います。さらに、ポストモダンへの超克の契機として、
古典作品は位置しているのでしょう。温故知新(古きを訪ねて新しきを知る)ともいえ、
未来の開拓に行き詰まったらとりあえず古典に帰り、しばらく思考を熟成させることでしょう。
きっと新たな知恵が湧いてくるかもしれません。国語教育にとどまるものではありませんが、
より広く人文学や社会学、場合によっては自然学まで含めて、学問とは保守と革新の鬩ぎ合いです。
教授陣はいわば保守派として、古典の読解を課してくるものですが、一方学生としては、
それをこなすだけでなく、新たな解釈を提示できなければなりません。
それこそが古典のアクチュアリティを学問の場に形成しうるのであって、
学問の将来にとって有意義であるといえましょう。即ち、学問にも不易流行があり、
流行り廃りがあるものですが、なろうことなら古典的視座に裏打ちされた、
骨太なポストモダンの開拓を探る限りにおいて、その核心部分は保ってもらいたいものです。
本書はむしろそのための方法論として読めるのであって、逆に「古典など必要ない」という向きには、
なにゆえに古典が必要かを考えさせてくれる趣向になっており、好感です。
いずれにせよ、本書をおすすめしておきたく思います。
というのも、結局は古典作品の分析から多くの叡智が得られるからで、
学生は古典(より狭くは古文・漢文か)の読み解き方を、受験生時代に仕込まれます。
ところで、今度はそのアクチュアリティということになるのですが、
それは同著者がいうように、近代という新しい時代を古典的視野に立って逆照射しうる、
という点に尽きると思います。さらに、ポストモダンへの超克の契機として、
古典作品は位置しているのでしょう。温故知新(古きを訪ねて新しきを知る)ともいえ、
未来の開拓に行き詰まったらとりあえず古典に帰り、しばらく思考を熟成させることでしょう。
きっと新たな知恵が湧いてくるかもしれません。国語教育にとどまるものではありませんが、
より広く人文学や社会学、場合によっては自然学まで含めて、学問とは保守と革新の鬩ぎ合いです。
教授陣はいわば保守派として、古典の読解を課してくるものですが、一方学生としては、
それをこなすだけでなく、新たな解釈を提示できなければなりません。
それこそが古典のアクチュアリティを学問の場に形成しうるのであって、
学問の将来にとって有意義であるといえましょう。即ち、学問にも不易流行があり、
流行り廃りがあるものですが、なろうことなら古典的視座に裏打ちされた、
骨太なポストモダンの開拓を探る限りにおいて、その核心部分は保ってもらいたいものです。
本書はむしろそのための方法論として読めるのであって、逆に「古典など必要ない」という向きには、
なにゆえに古典が必要かを考えさせてくれる趣向になっており、好感です。
いずれにせよ、本書をおすすめしておきたく思います。