私の作文教育 の感想
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参照データ
タイトル | 私の作文教育 |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 宇佐美 寛 |
販売元 | さくら社 |
JANコード | 9784904785751 |
カテゴリ | ジャンル別 » 人文・思想 » 教育学 » 一般 |
購入者の感想
高校の国語教師である女房の買った本。それを私が先に読み始め、一気に読みきった。
著者は大学の教育学部でながく教鞭をとった方で、著書も多い。おそらく読者の殆どは、国語教育にかかわる先生方であろう。しかしそれだけでは、あまりにももったいない。
ここには、作文教育の手法が具体的に書かれ、間違った国語教育や教育論がしつこくこき下ろされ、何よりも、不用意な公式文書の文言が、さまざまな視点から、完膚なきまで叩きのめされている。それはまさに知的な「冒険」であり、文章の流れは、読者をぐいぐい最終章まで引っ張っていってくれる。
だが、著者はカバーにあるような「戦い」が書きたかったわけではない。
なぜ戦わなければならなかったのか。なぜ国語教育が戦いになるのか。そもそも教育とは何なのか。日本はこんなことでいいのか。
常に現場に立ち、自らの立場を誠実に追い求めてきた著者の、老いてますます切実な、経世の訴えである。
評者である私自身が、大学の国語国文研修室を卒業して、毎日ブログを書いたりしている50男だ。その私が、自らの表現を反省し、変えなければならないと決意した。
ことば・国語は、人間自身である。この書評を読むほどの知識人・文化人であれば、ぜひご一読をとお勧めする。
自身の悪文を指摘されることに怯えながら、あえてレビューさせていただいた。それだけの力のある本だ。
著者は大学の教育学部でながく教鞭をとった方で、著書も多い。おそらく読者の殆どは、国語教育にかかわる先生方であろう。しかしそれだけでは、あまりにももったいない。
ここには、作文教育の手法が具体的に書かれ、間違った国語教育や教育論がしつこくこき下ろされ、何よりも、不用意な公式文書の文言が、さまざまな視点から、完膚なきまで叩きのめされている。それはまさに知的な「冒険」であり、文章の流れは、読者をぐいぐい最終章まで引っ張っていってくれる。
だが、著者はカバーにあるような「戦い」が書きたかったわけではない。
なぜ戦わなければならなかったのか。なぜ国語教育が戦いになるのか。そもそも教育とは何なのか。日本はこんなことでいいのか。
常に現場に立ち、自らの立場を誠実に追い求めてきた著者の、老いてますます切実な、経世の訴えである。
評者である私自身が、大学の国語国文研修室を卒業して、毎日ブログを書いたりしている50男だ。その私が、自らの表現を反省し、変えなければならないと決意した。
ことば・国語は、人間自身である。この書評を読むほどの知識人・文化人であれば、ぜひご一読をとお勧めする。
自身の悪文を指摘されることに怯えながら、あえてレビューさせていただいた。それだけの力のある本だ。