歴史家が見る現代世界 (講談社現代新書) の感想
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参照データ
タイトル | 歴史家が見る現代世界 (講談社現代新書) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 入江 昭 |
販売元 | 講談社 |
JANコード | 9784062882576 |
カテゴリ | » 本 » ジャンル別 » 社会・政治 |
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購入者の感想
ハーバード大・歴史学部の名誉教授が渾身の書き下ろし!
というカバーの宣伝をみて、いつか読もうと買っておいた本。
歴史学の大家・入江先生にしては平凡な内容でした。
わくわくする読書感を味わう事ができませんでした。
要は、
「現代は国境の枠組みの時代ではない。国境を越えた人々の
かかわりや、全世界、全人類の関心事などを視野に入れる視野が
必要である。いわば、国境を越えたトランスナショナルな繋がりに
注目する必要がある」という事に要約されます。
ご説ごもっともだと思います。
とくに目新しい見解が示されるでもなく、新境地を開くものも
気慨も感じられない。
知的興奮を余り感じませんでした。
老教授の淡々としたエッセイだと思います。
私個人としては、若いときに読んだE.H.カーの
「歴史とは何か」のほうが未だ輝いて見えています。
今読みなおしても知的興奮を覚えます。
というカバーの宣伝をみて、いつか読もうと買っておいた本。
歴史学の大家・入江先生にしては平凡な内容でした。
わくわくする読書感を味わう事ができませんでした。
要は、
「現代は国境の枠組みの時代ではない。国境を越えた人々の
かかわりや、全世界、全人類の関心事などを視野に入れる視野が
必要である。いわば、国境を越えたトランスナショナルな繋がりに
注目する必要がある」という事に要約されます。
ご説ごもっともだと思います。
とくに目新しい見解が示されるでもなく、新境地を開くものも
気慨も感じられない。
知的興奮を余り感じませんでした。
老教授の淡々としたエッセイだと思います。
私個人としては、若いときに読んだE.H.カーの
「歴史とは何か」のほうが未だ輝いて見えています。
今読みなおしても知的興奮を覚えます。
大して目新しい知見は書かれていない。御年80を迎える施設暮らしの老歴史学者が、自らの歴史観の変遷を振り返って現況の立ち位置を確認する、と云うものなのだが、ズブの歴史素人ならともかく、或る程度歴史書(特にグローバル・ヒストリーもの)や日々のニュースを読んでいる者にとっては特に新鮮な見解が示されている訳ではない。レヴェルが低い訳では決して無いが、どうも当たり前の穏当な結論ばかりが並べられていて、「これからの歴史学はこうでなくちゃ!」と云う意気込みに乏しい。取り敢えず目次を挙げておくので、多少目端の利く読者であればそこから大体の内容は推測出来るものと思う。私としては、一回読めばもう十分だったかな、と云う感じ。
はじめに
第1章 歴史をどうとらえるか
1 歴史家の目に映る現代世界
2 なぜ歴史の見方が変わったのか
3 「現代」の起源
第2章 揺らぐ国家
1 国家という存在
2 「大きな政府」から「小さな政府」へ
3 新興国家のそれぞれの選択
第3章 非国家的存在の台頭
1 ノンステート・アクターズ
2 ノンナショナル・アイデンティティ
第4章 伝統的な「国際関係」はもはや存在しない
1 パワーゲームの限界
2 地域共同体の誕生
3 インターナショナリズムの挑戦
第5章 普遍的な「人間」の発見
1 世界を変えた人間観
2 多様な人権概念のインパクト
3 トランスナショナリズム
第6章 環地球的結合という不可逆の流れ
1 大規模な人口移動
2 海外交流の担い手
3 ハイブリッドの世界
4 惑星意識と環境問題
5 エネルギー問題
結語 現代の歴史と記憶
あとがき
はじめに
第1章 歴史をどうとらえるか
1 歴史家の目に映る現代世界
2 なぜ歴史の見方が変わったのか
3 「現代」の起源
第2章 揺らぐ国家
1 国家という存在
2 「大きな政府」から「小さな政府」へ
3 新興国家のそれぞれの選択
第3章 非国家的存在の台頭
1 ノンステート・アクターズ
2 ノンナショナル・アイデンティティ
第4章 伝統的な「国際関係」はもはや存在しない
1 パワーゲームの限界
2 地域共同体の誕生
3 インターナショナリズムの挑戦
第5章 普遍的な「人間」の発見
1 世界を変えた人間観
2 多様な人権概念のインパクト
3 トランスナショナリズム
第6章 環地球的結合という不可逆の流れ
1 大規模な人口移動
2 海外交流の担い手
3 ハイブリッドの世界
4 惑星意識と環境問題
5 エネルギー問題
結語 現代の歴史と記憶
あとがき
著者はこの書を著す端緒の一つとして「現段階の日本の政治や言動の一つの傾向として、保守的、特に偏狭な国家主義(ナショナリズム)に偏った歴史解釈が影響力を増しているかのような印象を受けるから」と。続いて「現代の世界は、バラバラに存在する独立主権国家よりは国家間のつながり、ナショナルよりグローバルな動き、国籍よりは『地球人』としての意識が作りなそうとしているもの」と100年先を深謀遠慮。第一世界大戦から現代までの歴史学は欧米のいわゆる「列強」を視座の中心に置き、植民地などとして数億の犠牲を払った側のアジア、中近東、アフリカ、南米、太平洋諸島などの人々を等閑視した偏向性があったと縷縷指摘する。それは取りも直さず前時代的な大国の自国エゴの連鎖だったのではないか。時間と距離の近接によりヒト、モノ、カネが国境を越えて自由に行き来するようになったグローバル化の現代、単独での国家の運営は成り立たない。更に「たとえば日米関係は日本外交の基調だとされるが、現代の世界にあっては、二国関係というものは次第に意味を失っていることを想起すべき(中略)そのような見方にもとづく『積極的平和主義』なるものも、もとより時代遅れの発想に過ぎない」と。「平和とはただ戦争の無い状態を表すだけでなく、もっと積極的な意味があるのではないか。平和は力のバランスによって作られるのではなく、各国間の接触、交流、友好関係への共通の願望によってもたらされるものではないか」。著者はこのような主張を終始貫き、結びに「一国中心の歴史でなく、すべての人々が共有しうる歴史を学んでいくことが、グローバルな結びつきを一層密接なものとするための根本条件である。現代史を学ぶ、とはそのようなつながりを強化することに他ならない」と。私こと、この書から歴史の学び方、現代政治のあり方、自身の執るべき姿勢等多くを学び得た。・・著者に深謝。