結局は自分のことを何もしらない―役立つ初期仏教法話〈6〉 (サンガ新書) の感想

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参照データ

タイトル結局は自分のことを何もしらない―役立つ初期仏教法話〈6〉 (サンガ新書)
発売日販売日未定
製作者アルボムッレ スマナサーラ
販売元サンガ
JANコード9784901679619
カテゴリ人文・思想 » 宗教 » 仏教 » 仏教入門

購入者の感想

 スマナサーラ長老は「生きることは動いていることなのです。単純と言えば、笑えるほど単純です。」とあっさりと語っている。今まで生命は神秘的で尊いものだと思っていたので、ただ動いていることだと言われてもしばらく拍子抜けしてしまうが、実際考えてみればそうであると納得せざるを得ない。スマナサーラ長老の本を読むと今までの思い込みがあっさりと覆されてしまい、腹から納得させられるのが快感である。
 スマナサーラ長老が犬や猫の気持ちや感情を慈しみの気持ちで理解したエピソードも微笑ましくて和んだ。
 生きるとは何か、私とは何か、慈しみの生き方とは何かを教えてくれる本である。

 「どう生きるか」という問題を「私とはなにものなのか」という問題に置き換えて説明している。

 まず一つ一つの生命は「一滴の海水」である。一滴の海水が、大海(無数の生命)を動かそうとしても大して影響を及ぼさない。逆にでしゃばりすぎると、世間に潰される羽目になる。

 では、一つの生命が「生きている」とは何か。スマナサーラ長老はそれを「動くこと」と「知ること」としている。まず、動くことに関して。生命を観察すれば、呼吸や心臓の鼓動など、必ず動いていることがわかる。なぜ動くのかといえば、動かなければ苦痛が生まれるからだ。息を止めるのは苦しい、さらに、満腹になっても空腹になっても人は苦痛を感じる。

 つぎに「生きること」は「知る」ことでもある。私たちは、自分は何をしているのか、お腹がすいたのか、どこにいるのかなどを知っている。知る機能ことの連続によって、動くという現象が起こる。これが生きることである。

 このように人間は苦を感じていることに気づかず、苦を別の苦に置き換えることによって幸福とするような勘違いをしている。これを仏教では「無明(アビィッジャー)」といい苦を作る原因と考えている。お釈迦さまは、
「アナリヤ・パリイェーサナ(幸せを期待して何かを求める生き方は、あまり品格のない探究だ、無知な人の探究だ)」
とおっしゃっている。

 私たちは、「人生は苦」であると認識した上で苦しみを減らすことに目を向けるべきだ。その実践法が2つある。一つは正知を育てる「ヴィパッサナー瞑想」と、慈悲心を育てる「慈悲の瞑想」だ。これらは実践困難なものではない。方法は著者の『自分を変える気づきの瞑想法』に詳述されている。

 仏教は本来、人の心を徹底的に分析し苦しみを減らすことに特化した「宗教」、いや「生き方実践学」である。巷にあふれる、哲学者などが副業で書いた幸福論ではなく仏教に触れるのが近道ではないか。

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