アサッテの人 (講談社文庫) の感想

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タイトルアサッテの人 (講談社文庫)
発売日2010-07-15
製作者諏訪 哲史
販売元講談社
JANコード9784062767002
カテゴリ文学・評論 » 文芸作品 » 日本文学 » さ行の著者

購入者の感想

10年程、小説から遠のいていました。と言うのも最近の流行小説に何のインパクトも得られなかったからです。最近は新書版のエッセイに逃げておりました。ですが、この諏訪哲史さんの作品は小説離れしていた自分を再度この世界に引き込ませてくださる強烈な魅力を持っていらっしゃいます。こういう手法で小説を書く作家に初めて出会ったことに驚きました。個人的には筒井康隆と出会ったとき以来の衝撃でした。

失踪した叔父の、言葉にまつわる奇妙なおこないの原因を、小説という手段を使って解き明かそうとする「私」。残された日記から、叔父のあらゆる通念、あらゆる凡庸を、たえず回避しつづけようとする目まぐるしい転身本能を見出していく。

ここでいう言葉にまつわる奇妙なおこないとは、叔父=明が日常で突如として発する周囲には意味不明の言語活動のことだ。<<ポンパ>>、<<チリパッパ>>、<<ホエミャウ>>、<<タンポテュー>> ・・・
同一の言葉であっても、異なる文脈で使われ、他人が理解することを積極的に求めない。この言語感覚が、どうにも笑いのツボにはまってしまう。

他人の夫婦の諍いを目の当たりにして、夫の方にアドバイスをする明。「つまり、それは、タンポテューだ」という具合。明の妻 朋子、そして「私」がそれぞれの意味を解釈しようとする過程に、明の奇矯な行動を迎え入れようとする二人の暖かさが滲みでている。

明は幼い頃から吃音症に悩まされていた。矯正を試みるも失敗してしまうのだ。ところが、二十歳のある日、郵便ポストを見て突然、吃音が治ってしまう。世界に準じた言語感覚を身につけた明。しかし、このことで明は、狭隘な世界に閉じ込められる不快感に苛み始めるられるのだった。

「私」は、明が吃音を失って、もう一度「吃音的なもの」を求めはじめたのだと、その特異な言語活動を考察する。通念という檻に束縛される嫌悪感からの逸脱だ。だから夫婦間の諍いのような凡庸さは<<タンポテュー>>を発する引き金になる。

タイトルのアサッテというのは、この通念からのねじれの位置にあるものへベクトルを与えた語彙である。「私」の明に対する思いが端的に表わされているようだ。

明は、エレベーターの監視作業で「チューリップ男」を発見し、激しく共感を覚える。「チューリップ男」は他に乗員がいないエレベータ内で、お遊戯のチューリップの格好をして佇むのだ。この人知れなずおこなわれるパフォーマンスのアサッテ感に僕も共感する。アサッテ男って、世の中に結構いるんじゃなかろうか。

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