お前はただの現在にすぎない テレビになにが可能か (朝日文庫) の感想
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参照データ
タイトル | お前はただの現在にすぎない テレビになにが可能か (朝日文庫) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 萩元 晴彦 |
販売元 | 朝日新聞出版 |
JANコード | 9784022615978 |
カテゴリ | ジャンル別 » 社会・政治 » マスメディア » メディアと社会 |
購入者の感想
この本の存在は知っていたが、入手困難になっていた。
40年ぶりの復刊と聞いて迷わず購入。素晴らしかった。
「テレビ――お前はただの現在にすぎない」とは、テレビの同時性(即時性)に対して
権力及び芸術からの否定的非難の言葉でもある。
時間をすべて政治的に再編した後でそれを「歴史」として提示できるのが権力だとすれば
そのものの「現在」をあるがままに提示するテレビの存在は、権力にとって許しがたい。
「テレビは現在にすぎず、安定性、公平を欠き、真実を欠く」――それが体制の警告だ。
テレビは、安定や公平を求めることで堕落する。
テレビは、時間を追うことによってのみ独自の表現を持とうとしなければならない。
それがテレビの存在意義だ。
テレビは権力にも芸術にも再編成されることを拒み、「現在そのものをつくり出していく」限り、
その可能性を失わない。
そのことで、
「お前はただの現在にすぎない」という否定は、「そうだ、テレビはただの現在でありたい」という意志に変わる。
この本はそれを現場から鋭く問うている。
40年たった今、テレビはどう変わったか。むしろ権力に寄り添うようになったのではないか。
今だからこそ読まれるべき一冊である。
いささかも古くなっていない。
現代マスコミを考えるときにも、必読の書といえるだろう。
私は情報のデジタル化を否定はしない。むしろ可能性の無限さを感じている。
しかしこの本が40年たって「本」の形のままで復刻されたことに深い意義を感じる。
それしても、3人の著者のうち「文庫版あとがき」を書けるのは
今野勉だけになった。歳月を感じる。
なお、吉岡忍の「あとがき」が出色!
テレビとコミュニケーションについての考察は、短いが熟読に値する。
40年ぶりの復刊と聞いて迷わず購入。素晴らしかった。
「テレビ――お前はただの現在にすぎない」とは、テレビの同時性(即時性)に対して
権力及び芸術からの否定的非難の言葉でもある。
時間をすべて政治的に再編した後でそれを「歴史」として提示できるのが権力だとすれば
そのものの「現在」をあるがままに提示するテレビの存在は、権力にとって許しがたい。
「テレビは現在にすぎず、安定性、公平を欠き、真実を欠く」――それが体制の警告だ。
テレビは、安定や公平を求めることで堕落する。
テレビは、時間を追うことによってのみ独自の表現を持とうとしなければならない。
それがテレビの存在意義だ。
テレビは権力にも芸術にも再編成されることを拒み、「現在そのものをつくり出していく」限り、
その可能性を失わない。
そのことで、
「お前はただの現在にすぎない」という否定は、「そうだ、テレビはただの現在でありたい」という意志に変わる。
この本はそれを現場から鋭く問うている。
40年たった今、テレビはどう変わったか。むしろ権力に寄り添うようになったのではないか。
今だからこそ読まれるべき一冊である。
いささかも古くなっていない。
現代マスコミを考えるときにも、必読の書といえるだろう。
私は情報のデジタル化を否定はしない。むしろ可能性の無限さを感じている。
しかしこの本が40年たって「本」の形のままで復刻されたことに深い意義を感じる。
それしても、3人の著者のうち「文庫版あとがき」を書けるのは
今野勉だけになった。歳月を感じる。
なお、吉岡忍の「あとがき」が出色!
テレビとコミュニケーションについての考察は、短いが熟読に値する。