不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫) の感想
401 人が閲覧しました
参照データ
タイトル | 不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 米原 万里 |
販売元 | 新潮社 |
JANコード | 9784101465210 |
カテゴリ | 本 » ジャンル別 » 文学・評論 » エッセー・随筆 |
購入者の感想
私は学生時代に、言語学、とりわけ比較言語学、翻訳理論を専攻していた。
当時、この本はもちろん知らなかったのだが、今読んで率直に「学生時代に出会っておきたかった」と思った。
米原さんは、通訳(・翻訳)という仕事を闊達にこなす、という才能(と尋常でない努力量)を持ちつつも、
彼女の思考・思想を余すところなく表現できる表現力も持ち合わせている、たぐいまれな人間だということが分かった。
この本は、通訳の現場で経験したことを帰納的にまとめているが、
翻訳業と通訳業との違い、という観点でも
翻訳業と通訳業との共通点、という観点でも読むことが出来る。言うならば、この本そのものが、良質な論文の例と言えるだろう。
この本を学生時代に読んでおけば、卒論の素材の探し方、調査の仕方・進め方についても
それほど困ることはなかったと思う。それほどに上手くまとまっている本だ。
悲しいのは、米原さんのような希有な人間が他の人よりも生涯を短く閉じてしまうこと。
私は今翻訳業に関わっている身だが、彼女のような思考・洞察を持っている同業者はいないのではないだろうか。
いや、いるにしても表に出てきていないだけなのだ。
今表に出てきているのは、それこそろくでもないはったりブランディングをしている輩ばかり。
彼らは残りの人生を全投入しても米原さんの足元にも及ばないだろうが、
これから翻訳業・通訳業に関わっていく次世代の人間は、是非この本を手にとって
志高く、仕事に向き合っていって欲しい。
本当に、彼女のような人間が早く人生を閉じてしまうことが残念で悔しくてならない。
当時、この本はもちろん知らなかったのだが、今読んで率直に「学生時代に出会っておきたかった」と思った。
米原さんは、通訳(・翻訳)という仕事を闊達にこなす、という才能(と尋常でない努力量)を持ちつつも、
彼女の思考・思想を余すところなく表現できる表現力も持ち合わせている、たぐいまれな人間だということが分かった。
この本は、通訳の現場で経験したことを帰納的にまとめているが、
翻訳業と通訳業との違い、という観点でも
翻訳業と通訳業との共通点、という観点でも読むことが出来る。言うならば、この本そのものが、良質な論文の例と言えるだろう。
この本を学生時代に読んでおけば、卒論の素材の探し方、調査の仕方・進め方についても
それほど困ることはなかったと思う。それほどに上手くまとまっている本だ。
悲しいのは、米原さんのような希有な人間が他の人よりも生涯を短く閉じてしまうこと。
私は今翻訳業に関わっている身だが、彼女のような思考・洞察を持っている同業者はいないのではないだろうか。
いや、いるにしても表に出てきていないだけなのだ。
今表に出てきているのは、それこそろくでもないはったりブランディングをしている輩ばかり。
彼らは残りの人生を全投入しても米原さんの足元にも及ばないだろうが、
これから翻訳業・通訳業に関わっていく次世代の人間は、是非この本を手にとって
志高く、仕事に向き合っていって欲しい。
本当に、彼女のような人間が早く人生を閉じてしまうことが残念で悔しくてならない。
通訳者・翻訳者が書く本というのは、業界や言語に興味のない人にとっては全く面白くないことが多々あるが、この本は国際人のコミュニケーション本として誰にでもおススメできる。
通訳に「不実な美女」(つまり正確な訳ではないが日本語として響きが良い)がいいのか「貞淑な醜女」(美しくはないが内容が正確に反映されている)がいいのか。これをプロの通訳者たちが使い分けていること自体、知らなかった人が多いのではないか。著者は、パーティーの挨拶のような場所では前者が雰囲気を壊さず、重要な商談や喧嘩の場合は後者が好ましいと語る。
通訳者版「すべらない話」も多数掲載されている。逐次通訳のはずが1時間止まらずに話すスピーカー、パーティーで「どうも」しか言わないスピーカー、罵り言葉が会話の大半を占めているスピーカー…これらはすべて、通訳が仕えなければならない「旦那」(もちろん女性の場合もあるが)である。そもそも日本語でまともなスピーチができない人々に翻弄される通訳たち。事前に演説を何時間もかけて準備しておきながら、通訳にはそれを一切見せずその場で訳することを要求する旦那たち。通訳者はそのときどう対応するのか。
通訳者というのは、右脳と左脳を同時にフル活動させて、今日もどこかで誰かのコミュニケーションや交渉や裁判や人生を助けている。それが実感できて、さらに笑える痛快な本だ。著者のほかの本もそろえようと思う。
通訳に「不実な美女」(つまり正確な訳ではないが日本語として響きが良い)がいいのか「貞淑な醜女」(美しくはないが内容が正確に反映されている)がいいのか。これをプロの通訳者たちが使い分けていること自体、知らなかった人が多いのではないか。著者は、パーティーの挨拶のような場所では前者が雰囲気を壊さず、重要な商談や喧嘩の場合は後者が好ましいと語る。
通訳者版「すべらない話」も多数掲載されている。逐次通訳のはずが1時間止まらずに話すスピーカー、パーティーで「どうも」しか言わないスピーカー、罵り言葉が会話の大半を占めているスピーカー…これらはすべて、通訳が仕えなければならない「旦那」(もちろん女性の場合もあるが)である。そもそも日本語でまともなスピーチができない人々に翻弄される通訳たち。事前に演説を何時間もかけて準備しておきながら、通訳にはそれを一切見せずその場で訳することを要求する旦那たち。通訳者はそのときどう対応するのか。
通訳者というのは、右脳と左脳を同時にフル活動させて、今日もどこかで誰かのコミュニケーションや交渉や裁判や人生を助けている。それが実感できて、さらに笑える痛快な本だ。著者のほかの本もそろえようと思う。
とっても良い本だと聞いていたのに、なんで今まで読んでおかなかったのか。ロシア語だけでなく日本語の豊かな才能も持ち合わせている彼女のエッセイは、語学や通訳に関心のない人も楽しく読める。が、そのおもしろおかしく書かれた内容の中に、通訳、翻訳を生業とする者にとって計り知れないほどの有益な情報がびっしり詰め込まれている。事あるごとに参考に開きたい本です。0