チャンミーグヮー の感想

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タイトルチャンミーグヮー
発売日販売日未定
製作者今野 敏
販売元集英社
JANコード9784087715743
カテゴリ文学・評論 » 文芸作品 » 日本文学 » か行の著者

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購入者の感想

主人公は喜屋武朝徳(きやんちょうとく)。侍の家に生まれた。父親が手(テイー)(今の空手)の名手である。時代は、琉球王国が日本の一部になった頃だ。

ひょろりとして背も低く、体力がない朝徳。そんな朝徳も満14歳になり、手の練習を始める。突きや蹴りの型をやらされるだけなのだが、初心者の朝徳にとってはきつい稽古だった。しかし、だんだん体力がついてくると、練習が面白くなっていく。

ひ弱な男の子が、唐手を通じて成長していく。その過程が読んでいて面白い。前にも書いたが、RPGゲームで敵を倒し続けてレベルアップし、強くなっていくような爽快感があるのだ。

そして朝徳は東京へ行く。手を使う機会にも出くわす。単なるケンカなのだが。

そして東京の暮らしにも慣れ、学生生活を謳歌する。学校を卒業した朝徳は沖縄に戻ることになる。そこでスキャンダルに巻き込まれて往生し、手で身を立てていくことを決心する。いろいろな型を学び、熱心に稽古をする。「掛け試し」もやった。町中で、強そうな相手にケンカを売るのだ。

手の猛者として沖縄で名を上げるが、そのうち、何のために手をやるのか迷うようになる。そして、やがてその答えを見つける。また一つ、彼は成長したのだ。その後も手を中心として彼の人生は展開していく。

朝徳は一つの道を究めていこうとした。それだけ唐手は奥が深いということでもあるだろう。私も仕事でレベルアップしていこうとしているが、努力すればするほど、奥が深いと感じざるを得ない。しかし、いつかは一流の仕事をしたい。朝徳のように、「道」を究めるための努力は死ぬまで続くだろう。常に彼のような心がけを持って精進していきたいものだ。

自分が習っている空手流派の開祖、船越義珍翁の小説から今野氏の存在を知り、ほぼ全ての著作を読んできた。
ここ最近はTV化の影響もあるのか警察モノの刊行が多く、伝奇モノや武道モノの刊行がめっきり減った今野氏。
本作は久々の船越義珍、本部朝基に続く首里手系統の大家に関する小説だ。

確かに本書は首里手系統の空手を嗜んでいる人、首里手系統の空手に興味がある人には非常に面白いかも知れない。首里手系統の空手で黒帯だ、二段だ三段だ、大会で優勝しただの言う人でも、案外空手がその昔は唐手(または手、ティー)と呼ばれていた事さえも知らない人も多いと思う。
そう言った人には、空手というものがどこのどんな人達にどのような方法で習われていたのか、当時の沖縄と本土との関係、廃藩置県直後の沖縄武士の生活状況など、空手だけでは無く沖縄文化や沖縄郷土史などもわかる内容になっている。

一方、空手の大家の小説とは言っても、フルコン系統や那覇手系統の人にはいまいちピンとこない部分が多いし、首里手系統でも松濤館系統の様に形の名称を本土風の言葉に変えてしまっている流派の人には、やはりピンとこない部分も多いと思う。
それくらい、本書は良い意味で今野氏の趣味に思い切り特化した内容の本となっている。

自分も今野氏の著作や空手雑誌などで自分の習っている形の沖縄時代の名称などを知っているので、文中に出てくる形が自分の流派ではどんな名称のものになっているかは知っているので、そう言った部分は楽しく読む事が出来た。

では何故星が三つなのかと言うと、義珍の拳、武士猿と比べて意外性が無かったからだ。
幼少の頃のエピソードとして、同い年で従兄弟の武士猿(の主人公、本部朝基)との絡みがあるが、その部分などエピソードを除いて義珍の拳と同じパターンが見受けられる。これは今野氏の警察モノでも良く出てくるパターンだが、自分に自身の無い主人公がひたすらに稽古(警察モノだと捜査)をする事によって廻りに認められてきたり、自分に自信をつけてくるという設定。
更に義珍の拳では、妻との交流も良いアクセントになっていたが、本書ではあまりアクセントにはなっていない。

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