無心ということ (角川ソフィア文庫) の感想

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タイトル無心ということ (角川ソフィア文庫)
発売日販売日未定
製作者鈴木 大拙
販売元角川学芸出版
JANコード9784044076016
カテゴリ »  » ジャンル別 » 文学・評論

購入者の感想

 本書の目次の字面だけを一見して、これは!と心躍るものがあったので買ったが、間違いはなかった。講義録なので初学者にもわかり易いといえばわかり易いが、すんなり無心の何たるかを会得できるかといえば、これが曲者である。だから座右に置いて何度もこの書に向かうことが大事だろう。読むたびに違う光が宿る。それほど仏教の核心を衝いた書だと言える。「無心の理論は、実に仏教思想の全体系を構成しているといってよい。」(P217)と大拙氏は断言する。評者は、無心を一言で要約することなど無謀を承知の上で言うと、無心とはけっして図にならない地である、ととりあえず言っておく。この地の上に、森羅万象ありとあらゆる現象という図が浮き出てくる。この図は地と表裏一体をなしている。だから無心といっても心そのものでないし、精神の中にもない。かといって心の外にある実在でもない。無でもないし、実体でもない、ましてニヒリズムとも無縁である。あらゆる二元対立を超え、生死にも属していない。さらに霊感的なトランス状態を言うのでもなくキリスト教的神人合一の直観的神秘主義でもない。
我々人間には、すでにそこにあるのだが、そこにあることを知るのはきわめて困難なのだ。大拙氏はこの消息を禅の思想、真宗の浄土思想、石田梅岩の心学、道元の身心脱落などなど多岐にわたった豊かな学殖によって解き明かしている。それを大拙氏は、たとえば自然法爾、仏性、絶対的価値、無分別の分別、機法一体、独坐大雄峯、絶対他力、見性、などと言い表す。要はあらゆる矛盾を矛盾のなかで体得することなのだ。しかし、だからこそ無心は、静的な状態を言うのではなくて、もっと時間的で動的なものを含む。「無為なるがゆえに動いてしかも寂、為さざるところなしだから、寂でしかも動く」(P210)。空間的に限定されるのではなく、無限の祈り、誓願があってこそ無心は用となる。「無心の境地を簡単にいわゆる『自性本来清浄』と見て、そうしてこの清浄を静的に会得してはならぬのである」(P209)。だから先の地は図と共に時間化される。空間と時間はあたかもメビウスの輪か、クラインの壷が停留しているがごとく超高速で回転してもいるわけである。捕まえた一瞬それは逃げさってしまうものなのだ。だからこそ、無心を概念的に理解することの限界を大拙氏は指摘する。

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