中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義 (白水Uブックス) の感想

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参照データ

タイトル中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義 (白水Uブックス)
発売日販売日未定
製作者中島 岳志
販売元白水社
JANコード9784560721254
カテゴリ »  » ジャンル別 » ノンフィクション

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購入者の感想

いまも新宿のランドマークである中村屋。もとは本郷のパン屋だった。1927年、そこで本格派インドカリーをもたらしたのが、インド独立の志士、R.B.ボースだった。「一杯のインドカレーの伝来物語をはるかに超えた壮大で重たい問題」を背負った男。「1910年のインドにおける過激なテロリストであり、日本の帝国主義に同調した」人物。そして、そんな男を支援し、利用し、そして忘れた日本という国。ボースを描くことで、19世紀末から20世紀半ばまで、欧米の帝国主義に対抗するアジアの独立運動家たちを擁した「解放区」として機能していた、猥雑で懐の深い私たちの知らない日本を炙り出している。

ノーベル賞を受賞したベンガルの詩人、ラビンドラナート・タゴールの親戚と偽って日本に入国したR・B・ボースは、途中でイギリス人官吏に正体がばれ、日本到着後も追われる身となる。当時日本にはすでにインドに武器を輸出していたバグワーン・シンや、広州での武装蜂起に失敗して国外に亡命していた孫文が滞在していた。R・B・ボースは英国の意向を受けた日本の官憲に尾行されながら日本での生活をスタートさせるが、彼に手を差し伸べた日本のナショナリストたちも多くいた。右翼の大物、玄洋社(その海外工作を担ったのが黒龍会)の頭山満。東京帝大教授の寺尾亨。東京帝大でインド哲学を専攻し、のちに北一輝らとともに猶存社を結成して国家主義運動を展開する大川周明。北や大川の思想に傾倒していた岸信介は、のちに日本の首相として初めてインドを訪問している。

このお尋ね者のインド革命家を自宅にかくまったのは、芸術家や文化人たちのサロンでもあった中村屋の相馬愛蔵・黒光夫妻だった。R・B・ボースはのちに夫妻の娘と結婚するが、そのときの保証人は後藤新平と犬養毅だったことからも、当時のインドの独立運動が日本の知識層、指導者層からおおっぴらな支持を受けていたことがわかる。のちに、中曽根康弘はじめ歴代総理大臣の指南役となった安岡正篤とも知己を得ている。

I was a fighter. One more fight. The last and the best.
(私は闘士だった。もう一度、闘おう。最後で且つ最善の戦いを。)

「中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義」で取り上げられている植民地インド時代の独立運動家Rash Behari Bose (1886-1945)が、日本に亡命した晩年、イギリスからのインド独立を再度目指すために帝国陸軍と協力して独立戦争を闘おうとした際に書いていたという言葉です。訳は本を少しアレンジしました。

タイトルの「中村屋」は、新宿の中村屋のことで、彼が日本で官憲から隠れて中村屋で生活をしていた際に紹介した「インドカリー」が、今も定番メニューとして残っているインドカリーの元祖だそうです。イギリス植民地政府に対してテロも起こした独立運動家が日本に伝えた「カリー」が現在も残って、彼の存在すら知らない日本人(僕も食べたことはありましたが本を読むまでまったく知りませんでした)の間で定番メニューになっているというのは、奇縁と言わざるをえません。

インド独立をトリガーとした「アジア解放」の思想を追求するものの、大日本帝国の拡張政策に乗っかってイギリスと戦い独立を実現せざるを得ないという現実という相克に対し、帝国主義路線にも柔軟に対応しながら現実的解を達成しようとして、その結果としてインド人同胞からの信頼を失い、道半ばで病に倒れ、インド独立をその目で見る前に亡くなるという壮絶な人生は、稀有なものでしょう。相克するものにはさまれて苦悩しつつ、また家族には優しい父であろうとするその姿には感じ入るところがありました。

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