苦しまなくて、いいんだよ。 の感想
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参照データ
タイトル | 苦しまなくて、いいんだよ。 |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | プラユキ・ナラテボー |
販売元 | PHP研究所 |
JANコード | 9784569796284 |
カテゴリ | 人文・思想 » 宗教 » 仏教 » 仏教入門 |
購入者の感想
タイで出家した日本人僧プラユキ・ナラテボーさん、二冊目の著作である。
前著の「気づきの瞑想を生きる」では、お寺にやって来た悩める日本人達との
癒しの対話に一章があてられていたが、本書では五章すべてが対話&レクチャー
のセットで構成され、とても興味深くすらすらと読み進めていくことができた。
「ブッダの教えは儀式要綱や哲学的思弁でも、一部の人だけの悟りマニュアル
でもない。苦しみからの解放のために誰もが役立てられる法である」として、
正論を述べるのでなく、悩める人たち一人ひとりと真摯に向き合い、心に寄り添う。
ときに自身の発した不用意な言葉から、相手を泣かせてしまったりもするが、
素直に謝りつつ、その場で相手を気づきに導いていくさまは実にみごとである。
本書を読み、ブッダの教えについての新たな知見を私自身いくつも得ることができた。
たとえば、怒りや欲望であれ、それらのプロセスに気づき、真正面にあるがままに
受け止め、理解していくことにより、智慧として昇華していくことができるということ。
また、こころに生じてきた苦しみも、「智慧と慈悲の結節点」と捉えることができ、
それを目覚めた意識で感じ尽くすことによって、本当の慈悲心も生じてくるなどである。
本書を読み進めるうちに自然と自分の心が安らぎ、ほのぼのとしてくるのが
感じられた。「みんながみんな、強い心を持っているとは限らない」として、
受容的で、やさしい著者の気韻にいつの間にか包まれていたのかもしれない。
平時であれば、喝を入れられたり、舌鋒鋭く怒りや欲を諌められるのもいいだろう。
しかし、未曾有の災害に見舞われた今日の日本では、人々は大きな不安にかられ、
心を弱めてしまっている。こんなときだからこそ、南国の明るくおだやかな薫風を
漂わせるこのような書物に触れ、こころ安らぐひとときを持ち、元気を回復していく
ことこそが、いまの私たちには必要ではないかと思う。
前著の「気づきの瞑想を生きる」では、お寺にやって来た悩める日本人達との
癒しの対話に一章があてられていたが、本書では五章すべてが対話&レクチャー
のセットで構成され、とても興味深くすらすらと読み進めていくことができた。
「ブッダの教えは儀式要綱や哲学的思弁でも、一部の人だけの悟りマニュアル
でもない。苦しみからの解放のために誰もが役立てられる法である」として、
正論を述べるのでなく、悩める人たち一人ひとりと真摯に向き合い、心に寄り添う。
ときに自身の発した不用意な言葉から、相手を泣かせてしまったりもするが、
素直に謝りつつ、その場で相手を気づきに導いていくさまは実にみごとである。
本書を読み、ブッダの教えについての新たな知見を私自身いくつも得ることができた。
たとえば、怒りや欲望であれ、それらのプロセスに気づき、真正面にあるがままに
受け止め、理解していくことにより、智慧として昇華していくことができるということ。
また、こころに生じてきた苦しみも、「智慧と慈悲の結節点」と捉えることができ、
それを目覚めた意識で感じ尽くすことによって、本当の慈悲心も生じてくるなどである。
本書を読み進めるうちに自然と自分の心が安らぎ、ほのぼのとしてくるのが
感じられた。「みんながみんな、強い心を持っているとは限らない」として、
受容的で、やさしい著者の気韻にいつの間にか包まれていたのかもしれない。
平時であれば、喝を入れられたり、舌鋒鋭く怒りや欲を諌められるのもいいだろう。
しかし、未曾有の災害に見舞われた今日の日本では、人々は大きな不安にかられ、
心を弱めてしまっている。こんなときだからこそ、南国の明るくおだやかな薫風を
漂わせるこのような書物に触れ、こころ安らぐひとときを持ち、元気を回復していく
ことこそが、いまの私たちには必要ではないかと思う。