森林飽和―国土の変貌を考える (NHKブックス No.1193) の感想

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タイトル森林飽和―国土の変貌を考える (NHKブックス No.1193)
発売日販売日未定
製作者太田 猛彦
販売元NHK出版
JANコード9784140911938
カテゴリジャンル別 » 科学・テクノロジー » 地球科学・エコロジー » 環境問題

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日経BPのWeb書評で取り上げられていて、タイトルが逆説的でおもしろそうだったので、手に取った
著者は森林学の専門家で、東大、東農大を歴任、長らく砂防学会、森林学会を率いてきたこの道の「ドンのなかのドン」らしい。

タイトルはしかし逆説ではなく、事実、森林は多すぎる、と著者はいう。

日本人は長らく山の樹木を燃料、肥料、建築資材などに利用してきたが、江戸から明治期の人口爆発と殖産興業のため、伐採と植樹のバランスが崩れて荒廃が進んだ。明治33年(1900年)当時の様子は、

 「森林のうち樹木で覆われているのは30%、残余の70%はハゲ山である」p121

と報告されているそうだ。実際に明治の頃の里山の写真が掲載されているが、まさにハゲ山のオンパレードである。こんな光景はいまの日本にはどこにもない。
それが戦後になって、薪炭が石油にとってかわられ、国産の建築材が海外産の安価な木材にとってかわられ、森の木が利用されなくなった。わずか4,50年のことだが、その間に森林は回復して、実に400年ぶりの豊かな緑を取り戻しているという。(p144)

しかし一方で人手が入ることがなくなった森林は野放図に繁茂し、今や入ろうとしても人が入ることができない森林が増えている。つまり、森林は「量的」には回復しているが、「質的」には荒れている、という状態だそうだ。

自然と人間の共生、とは美しい言葉だが、儲からないもの、経済的にペイしないものを守っていくのは大変だ。人が森林を利用する度合いを「利用圧」というそうだが、現在の森林の利用圧はすっかりゼロに近くなった。経済的メリット以外に「利用圧」を適度にあげていく、たとえば、防災とか、観光とか、そういった工夫が、「人のための森」を守るには大切だと理解した。せめて、割り箸は国産の間伐材を買おうと思う。

日本における森林の役割と変貌の歴史を紹介し、この資源をどのように守り活用してゆくべきか説いている本。著者は、砂防学会や日本森林学会などで会長を歴任しているキャリアを持つ。

昔の日本では、燃料も建材もひたすら木材が頼みだった。落葉落枝や下草などは肥料に使われる。この結果、山林は次々伐採される。製塩、製鉄、陶磁器生産も、燃料として大量の木材を使う。人口が増えるにつれて、禿山が増え、それが自然災害の深刻化にもつながった。一方、花崗岩は砕けやすく、河川を通じて海に流入して砂浜になる。飛砂被害も増える。河口閉塞も発生する。

かつては里山として集落と一体となった貴重な資源であり、厳しく管理されていた森林。しかし、近代に入って国産木材の消費は激減する。禿山は木々に覆われた山々に変わり、森林の水源涵養能力は高まり、水質浄化の機能も改善したももの、林業の低迷によって今度はかつての里山が荒れ果てる。鹿の被害も深刻だ。海への砂の流入も減ったことが、海岸の深刻な浸食被害の背景にある。

クロマツを中心とする海岸の林が果たしてきた役割も重要だ。飛砂や海風対策だけでなく、10mくらいまでのものであれば津波のエネルギーを減衰させて速度も低下させる効果がある。

森林行政に眼を移すと、江戸時代においても森林資源保全の重要性が強く認識されており、1666年の諸国山川掟の発布をはじめ、土砂留奉行の設置等いろいろな政策が行われてきた。明治以降については、1897年の森林法、1964年の林業基本法、2001年の森林・林業基本法の3つの法令が曲がり角になっている。

このような時代の変化や森林の歴史を受けて、著者は「護る森」と「使う森」があると語る。前者は生物多様性保全を中心とした保護区であり、後者は積極的に人の手を入れることで森林の多面的な機能を発揮させるようにするための森である。森林資源が、海岸をはじめ自然や生態系と大きな関係があることを示すと共に、日本人と森の歴史やこれからのあり方についての啓示も与えてくれる一冊。

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