街場のメディア論 (光文社新書) の感想

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タイトル街場のメディア論 (光文社新書)
発売日2010-08-17
製作者内田 樹
販売元光文社
JANコード9784334035778
カテゴリ » ジャンル別 » 社会・政治 » 社会学

購入者の感想

新聞・テレビ・出版業界などの既成メディアの危機が騒がれる中、
その原因の本質がどこにあるのかを探りだそうと試みた、
著者の講義が元にして書籍化した作品です。
20歳そこそこを対象とした講義なのでと著者も言っているが、
わかりやすく、また知的探究心をくすぐる知識もちりばめられています。

キャリア教育目的の本講義の最初にまずキャリア教育は
間違っていると喝破するところから始まります。
競争至上主義が才能を花開かせるのでは無く、
「その能力が必要とされたときにはじめて潜在能力は発動する。」
という著者の人間観からはじまるのですが著者の価値観の根底
にあるものを垣間見れるでしょう。

前書きで「メディアの不調はそのままわれわれの知性の不調である」
−これは真摯に受け止めなければならない前提と思います−
としつつもメディア自身の構造的な病理も指摘します。
また、医療崩壊と教育崩壊に与えた影響とその考察も行っています。

−以下抜粋(部分改)−

「その能力が必要とされたときにはじめて潜在能力は発動する。」
「『危機耐性』と『手作り可能性』はメディアの有用性を考慮する場合のかなり重要な指標。」
「情報を評価する時の最優先の基準は『世界の成り立ち』についての理解が深まるか。」
「メディアが好んで採用する『演技的無垢』は、それを模倣する人々に間に社会的態度として広く流布した。」
「『被害者=政治的に正しい立場』というのはもともと左翼の政治思想に固有のもの。」
「『資源の分配のときに有利になるかもしれないから』とりあえず被害者のような顔をしてみせる
というマナーが『普通の市民』にまで蔓延した。」
「『推定正義』が事実によって反証されたら、メディアの威信が低下すると思っている。」
「メディアは『常に正しいことだけを選択的に報道している』という
ありえない夢を追います。この態度は僕は病的だと思います。」
「最終的な責任を引き受ける生身の個人がいない。」

内田氏の著作を読むのは「日本辺境論」に続いて二作目だが、本作では「何故既存のマスメディアが衰退しつつあるのか」というテーマに対して切れ味の鋭い分析を示してくれる。思わず「その通り!」と膝を打ちたくなるような分析が満載で、面白くて刺激的な読んで為になる著作であった。

まず第二講の『マスメディアの嘘と演技』で展開される、新聞・テレビの現状分析が秀逸。新聞とテレビのもたれ合いについての基本的な知識は持っていたが、新聞がテレビのやらせ事件をあたかも知らなかったことのように驚いて見せたことが引き合いに出され、そこから、「新聞」は自分が実際は知っていながら見て見ぬふりをしてきたことを責められることが怖いために、「知っているくせに知らないふりをして、イノセントに驚愕してみせる」というテレビ的な手法を使用している、という事実を導き出したところは実に首肯できる鋭い分析。

第三講の『メディアと「クレイマー」』では、ここ数年増えてきたクレイマーの増大にメディアが大いに加担していることを鋭く指摘しており、またクレイマーとはどのような存在であるかということがクリアに定義され、ここも面白かった。

そして本書の白眉は第四講の『第四講 「正義」の暴走』である。序盤ではメディアが医療機関と患者、学校と生徒の対立を煽り、常に弱者である「個人」の立場に立ち、結果的にそれが誤っていてもそれを認めようとしないことが示されるが、その背景にはメディアが語る言葉は「個人が責任を負わない誰でも書ける定型的な言葉=世論」になっているからだという原因が導き出され、そのような無責任な言葉しか発しないメディアは、結果的に自らを「存在しなくても誰も困らない」存在に貶めている結論はまさにその通りだと思った。

第五講以降はやや刺激度は落ちるものの、贈与経済と読書の関係など面白い分析が随所にあり、楽しく読めた。

最近テレビや新聞がつまらなく、浅薄だと感じている自分には、目を開かせるような内容が盛りだくさんの良書であった。

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光文社から発売された内田 樹の街場のメディア論 (光文社新書)(JAN:9784334035778)の感想と評価
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