存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて の感想

アマゾンで購入する

参照データ

タイトル存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて
発売日販売日未定
製作者東 浩紀
販売元新潮社
JANコード9784104262014
カテゴリ人文・思想 » 哲学・思想 » 西洋思想 » フランス・オランダ

購入者の感想

 浅田彰氏の『構造と力』以来の快挙です。著者のデリダ理解は群を抜いてすばらしく、読み応え十分の書物です。デリダ思想の入門書としても最高の出来ではないかと思います。いろいろなデリダ思想の解説書や入門書がありますが、これほど懇切丁寧に、しかも啓発的に書かれた書物はありません。私が特に感心するのは、丁寧・分析的に読み解いていることです。このような卓越した読解力がなければデリダの解説書は書けないはずです。もうひとつ私が感心したのは、一般論としてデリダ思想を語るのではなく、自分の視点と読解で論述を進めていることです。これがこの書物の魅力のすべてではないかと思います。抜群に面白い本です。最近初期デリダの集大成ともいえる『散種』の日本語訳が出版されましたが、東氏の解説のおかげでかなり読みやすくなっています。著者は散種を書物の読解可能性として読み解きました。散種は、「書物外」として、実体もなく存在し、エクリチュール(記述)から生まれるものである。パロール(発話)は、語り手である主体を特定化し、語り手なくして発話そのものが成立しないのに対し、エクリチュールは書き手である主体を離れて、単なる読解可能性としての「散種」を書き手の意図とは無関係に読み手に生じさせること、つまり散種とは、エクリチュール以外からは生まれ得ないことをデリダは説いたのであり、東氏が言いたかったこともこの点にあると思います。西洋形而上学が依拠してきたロゴス中心主義の脱構築をデリダが散種の読み取りから試みたことを東氏は指摘したのです。しかし、散種によって真理が読解可能性のみとして存在することは理解できますが、東氏がジョイスから引用しているwarという単語は、「英語」か「ドイツ語」のいずれかの読解可能性を示していますが、答えは決められないことが散種として読み取り得るとしても、わたしたちは、どちらかの可能性しかあり得ないことを言語的知識として知っています。散種は無限の読解可能性を示したものではなく、微妙な差異、わずかの「ずれ」でしかないのではないでしょうか。デリダの散種についてはドゥルーズの『差異と反復』との親近性を感じさせます。

あなたの感想と評価

コメント欄

関連商品の価格と中古

存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

アマゾンで購入する
新潮社から発売された東 浩紀の存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて(JAN:9784104262014)の感想と評価
2017 - copyright© みんこみゅ - アマゾン商品の感想と評価 all rights reserved.