街道をゆく (13) (朝日文芸文庫 (し1-14)) の感想

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タイトル街道をゆく (13) (朝日文芸文庫 (し1-14))
発売日販売日未定
製作者司馬 遼太郎
販売元朝日新聞社
JANコード9784022601834
カテゴリ文学・評論 » エッセー・随筆 » 日記・書簡 » 日本文学

購入者の感想

週刊朝日1978年2月3日〜8月25日号に連載

壱岐の道、対馬の道

対馬の人/壱岐の卜部/唐人神/宅磨のこと/壱岐の田原/郷ノ浦/豆腐譚/曽良墓/曽祖父の流刑地/神皇寺跡の秘仏/風濤/志賀の荒雄/厳原/国昌寺/対馬の”所属”/雨森芳洲/告身/溺谷/祭天の古俗/巨済島/山ぶどう/佐護の野/赤い米/千俵蒔山/佐須奈の浦

上代において対馬、壱岐は朝鮮からの文化そして賛否はあるが稲作伝播そして鉄伝播の経路である
対馬・壱岐と並列するが対馬が断崖絶壁の島で稲作が発展しなかったのに対して、壱岐は平な丘が続く稲作的地であった。
結果、対馬では弥生的農耕は進まずに韓国との交易を含めた海上生活へと向かっていく

防人の存在は忘れてはならない
防人の多くは関東からの徴兵であり、遠い地で長きにわたり国境警備に当たる苦労は並はずれたものでなかったろうと思われる
国境警備で異常発生すれば、狼煙を上げて壱岐、肥前そして大宰府にまで伝えられた

海上生活は海賊生活、略奪生活でもあり倭寇として有名になり、これに困窮した李王朝は、倭寇に対して沿岸を脅かさないように、米を与えていたという

対馬を支配していたのは宗氏であるが古代においては阿比留氏であり、この阿比留氏は畔蒜の庄(千葉県袖ケ浦市付近の出自である)から、対馬に占い師卜部として渡ったのが始まりとされており、現在でも数の多い姓である

秀吉狂乱の朝鮮出兵で一時的に交易が途絶えるものの朝鮮通信使として復活し独自の外交を繰り広げていた
無論、経済効果を期待しての交易ではあるが、地域的国家感ともいうものも存在する

いまや竹島問題でごたごたしているが、国会議員や官僚など衰えそして歪んだ国家感よりは地域的国家感をもった人間の方が円滑に解決できる点もあるのではなかろうか

いまや韓国との国境というだけの存在に成り下がってしまったが対馬壱岐だが、
日本古代史の表玄関、戦乱の最前線としてその歴史の深さは一言によって語れるものではないことは明らかである

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