正法眼蔵〈1〉 (岩波文庫) の感想

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タイトル正法眼蔵〈1〉 (岩波文庫)
発売日販売日未定
製作者道元
販売元岩波書店
JANコード9784003331903
カテゴリ人文・思想 » 宗教 » 仏教 » 仏教入門

購入者の感想

道元による野人玄砂の開悟の解析である。
それは、一瞬で向こうからやってきた。長い修行の結果としての悟りではなかった。直線的時間経過の結果(因果)とは異なるものであった。

玄砂は、無学文盲の漁師であった。
この野人の脳裏には、おおよそ形而上学的思索など入り込む余地はなかった。
このような人は、徹頭徹尾体験的なものに信を置き、生活から離れたものには価値を置かず実利を以って肯く人である。

玄砂の開悟の瞬間は道元の時間論をよく説明する。
道元の時間論は、直線的時間ではなく円環的時間である。過去現在未来の直線的経過時間でなく、過去現在未来の同時存在である。
私たちがこの事を理解するのは極めて困難である。
それは、私たちが自己を「個」と虚構するからである。
だから、某年某月某日に生まれ某年某月某日に死んでゆくという存在になっている。これは、生死があるという事である。
「個」を立てない仏教では、生死なく(不生不滅)、始めも終りもない(無始無終)。つまり、円環である。
生死とは、仏(=空)が仮に生死という形式を以って顕れたものである。それは、「仮象」(=如)である。
私たちは、「個」でなく「全体」(仏=空=超時空物的実存体)の一部分である。そして、隠れているその他一切は一連なりとなっていて洩れるものはない。「空」は、本来無時間であり直線的時間とは、「仮象」である。
それは、仏(=空)が仮に直線的時間(過去現在未来)という形式を以って顕れたものである。

では、円環的時間とはどういうものか。
それは、前後がない。「今」にしても過去現在未来を持つ「今」ではなく、ただ「今」のみの「今」である。「有時」(尽界・尽時)の「今」であり道元は、「而今」と名付けた。
そして、「而今」の中には、過去現在未来の一切が入っていて出没する。「空色同時現成」する。道元は、「経歴」と名付けた。但し、「今」顕れている「仮象」以外は、隠れている。「一方を証すれば一方はくらし」(現成公案)
それは今、私たちが存在する世界であるが、私たちはそれを「個」を立てて対象化・実体化するため世界を虚構化してしまう。

道元禅師が記した哲学書です。巻10までは非常に難解、それ以降はところどころわかるという感じでした。でも本書の真髄は巻10までにあると思って繰り返し読んでいます。座禅のみを説き経典を一切持ち帰らなかった道元禅師は、まさに本来無神教である仏教の極意を伝えているという気がします。

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