シェルブールの雨傘 [Blu-ray] の感想
参照データ
タイトル | シェルブールの雨傘 [Blu-ray] |
発売日 | 2011-07-02 |
監督 | ジャック・ドゥミ |
出演 | カトリーヌ・ドヌーヴ |
販売元 | Happinet(SB)(D) |
JANコード | 4907953045439 |
カテゴリ | DVD » ジャンル別 » 外国映画 » ラブロマンス |
購入者の感想
雨傘屋の娘であるジュヌヴィエーヴが、雨や雨上がりの日でさえ傘を手にする描写が一切なかったことを、不思議に感じました。
本映画の主人公は一見するとジュヌヴィエーヴに見えますが、ひょっとすると「ジュヌヴィエーヴの母」ではないかと感じます。
映画のタイトルである「雨傘」とはすなわち、娘を不幸(雨)から守ろうとする母のことではないでしょうか。
「まるで雨傘の品定めをしているみたい」
「お前を雨から守るためよ」
というセリフのやり取りからも、そのようにいえるでしょう。
ギイと結婚しようとする娘の前途を心配する母ですが、自覚の有無を別にして、母が本当に守ろうとしているのは自分自身の、娘に対する優位性です。
トマス・ホッブズは、人間の自然的欲望は「虚栄心」だと位置付けました。
人間は他人に優越していることを願い、さらに自己の優越性を他人が承認してくれることを要求します。
優位と名誉を他人に認めさせる「承認のための闘争」が始まるのです。
この闘争はたとえ親子関係であっても、例外ではありません。
ジュヌヴィエーヴには父親がいません。
母は娘を女手一つで育て上げたのであり、それは、母の娘に対する優位性をいっそう増幅させるでしょう。
「私(母)あるいは私が見定めた傘(カサール)なくして、娘は生きていけるはずがない」
そのような、母親の優位性を娘に押し付けて娘の自立を妨げることが、母の目的のひとつなのです。
そして、傘を持とうとしないという娘の意思は、そのような母からの抑圧に対する一種の抵抗の表れではないでしょうか。
結局、ジュヌヴィエーヴはカサール(母の見定めた傘)と結ばれます。
また、映画の終盤でジュヌヴィエーヴの母は亡くなります。
すなわち、ジュヌヴィエーヴは、母の抑圧から最後まで逃れることができなかったのです。
しかし、ジュヌヴィエーヴとカサールの間には、ギイとの子(フランソワーズ)が生まれます。
本映画の主人公は一見するとジュヌヴィエーヴに見えますが、ひょっとすると「ジュヌヴィエーヴの母」ではないかと感じます。
映画のタイトルである「雨傘」とはすなわち、娘を不幸(雨)から守ろうとする母のことではないでしょうか。
「まるで雨傘の品定めをしているみたい」
「お前を雨から守るためよ」
というセリフのやり取りからも、そのようにいえるでしょう。
ギイと結婚しようとする娘の前途を心配する母ですが、自覚の有無を別にして、母が本当に守ろうとしているのは自分自身の、娘に対する優位性です。
トマス・ホッブズは、人間の自然的欲望は「虚栄心」だと位置付けました。
人間は他人に優越していることを願い、さらに自己の優越性を他人が承認してくれることを要求します。
優位と名誉を他人に認めさせる「承認のための闘争」が始まるのです。
この闘争はたとえ親子関係であっても、例外ではありません。
ジュヌヴィエーヴには父親がいません。
母は娘を女手一つで育て上げたのであり、それは、母の娘に対する優位性をいっそう増幅させるでしょう。
「私(母)あるいは私が見定めた傘(カサール)なくして、娘は生きていけるはずがない」
そのような、母親の優位性を娘に押し付けて娘の自立を妨げることが、母の目的のひとつなのです。
そして、傘を持とうとしないという娘の意思は、そのような母からの抑圧に対する一種の抵抗の表れではないでしょうか。
結局、ジュヌヴィエーヴはカサール(母の見定めた傘)と結ばれます。
また、映画の終盤でジュヌヴィエーヴの母は亡くなります。
すなわち、ジュヌヴィエーヴは、母の抑圧から最後まで逃れることができなかったのです。
しかし、ジュヌヴィエーヴとカサールの間には、ギイとの子(フランソワーズ)が生まれます。
20年たってはじめてわかったことがあります。
再会したとき、ヒロインは幸せではなかったのですね。
昔の恋人を、求めていたんですね。
できることならば、もう一度愛し合いたいと祈っていたんですね。
しかし、今度はギイが拒否したんですね・・・。
今、愛する妻と子供のために・・・。
20年前はわかりませんでした。
再会のそっけなさに違和感があったのが、すっきりしました。
再会したとき、ヒロインは幸せではなかったのですね。
昔の恋人を、求めていたんですね。
できることならば、もう一度愛し合いたいと祈っていたんですね。
しかし、今度はギイが拒否したんですね・・・。
今、愛する妻と子供のために・・・。
20年前はわかりませんでした。
再会のそっけなさに違和感があったのが、すっきりしました。