どうすれば「人」を創れるか―アンドロイドになった私 の感想
参照データ
タイトル | どうすれば「人」を創れるか―アンドロイドになった私 |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 石黒 浩 |
販売元 | 新潮社 |
JANコード | 9784103294214 |
カテゴリ | ジャンル別 » 科学・テクノロジー » 工学 » メカトロ・ロボット工学 |
購入者の感想
アンドロイドと言えば、今やすっかり携帯OSの代名詞となっているが、もともとの意味は「人間酷似型ロボット」のことである。そのアンドロイドの可能性、ロボット工学にとどまらず、認知科学や脳科学や哲学とも深く結びついているそうである。本書はアンドロイドの研究を通して「人間とは何か?」、「自分とは何か?」を探求した一冊。著者は大阪大学のロボット工学者、アンドロイド研究の第一人者でもある。
◆本書の目次
プロローグ
第1章 日常活動型からアンドロイドへ
第2章 遠隔操作型アンドロイドを創る
第3章 サロゲートの世界
第4章 アンドロイドになる
第5章 ジェミノイドに適応する
第6章 ジェミノイドに恋をする
第7章 実体化するもう一人の自分
第8章 人を超えるアンドロイド
第9章 人間がアンドロイドに近づく
第10章 人間のミニマルデザイン「テレノイド」
エピローグ
ロボットにおいて重要なのは「見かけ」と「動き」。そのうち「見かけ」については、驚くほど研究の対象になってこなかった。人間とロボットは異なるものという先入観から、多くのロボットは人間とは一線を画したロボットとしてデザインされてきたのである。そこに大きな疑問を持った著者は、人間にそっくりなロボットを作ることへ邁進する。そうして出来あがった人間そっくりのアンドロイドと、そのモデルとなった人物とが対峙することで見えてきたもの、それが本書の骨子である。
◆本書の目次
プロローグ
第1章 日常活動型からアンドロイドへ
第2章 遠隔操作型アンドロイドを創る
第3章 サロゲートの世界
第4章 アンドロイドになる
第5章 ジェミノイドに適応する
第6章 ジェミノイドに恋をする
第7章 実体化するもう一人の自分
第8章 人を超えるアンドロイド
第9章 人間がアンドロイドに近づく
第10章 人間のミニマルデザイン「テレノイド」
エピローグ
ロボットにおいて重要なのは「見かけ」と「動き」。そのうち「見かけ」については、驚くほど研究の対象になってこなかった。人間とロボットは異なるものという先入観から、多くのロボットは人間とは一線を画したロボットとしてデザインされてきたのである。そこに大きな疑問を持った著者は、人間にそっくりなロボットを作ることへ邁進する。そうして出来あがった人間そっくりのアンドロイドと、そのモデルとなった人物とが対峙することで見えてきたもの、それが本書の骨子である。
石黒浩氏はあのキンチョールの「アンドロイドだって錆びない」のCMの女性アンドロイドを開発した有名な工学者。
しかし本書は、そっくりロボットの作り方自体を語りたい本ではありません。
著者は人間とは何かを考えるために、人間そっくりのアンドロイドを作って、遠隔操作でしゃべらせたりほほえませたりさせたあと、人間のがわに生じる奇妙な心理のほうを追ってゆきます。
人間の「自分とは何か」「自分の体とは何か」「人と関わるとは」の感じ方のふしぎをあぶりだす、ぞくぞくするような体験談の一冊です。
中心になっているのは、二体のそっくりロボットの元となった、著者自身と、女性Fさん。
まず、遠隔操作で自分そっくりのアンドロイド(ジェミノイド)を扱っているうち、ふたりは自分の体がそこにある、という気持ちになります。自分意識がそこに及んでしまい、人にさわられたりすると、変な感じがしたりします。
またFさんは自分そっくりのこのアンドロイドを、自分よりも透明で無垢で美しい存在、自分の理想と感じます。
平田オリザ氏とのコラボ演劇の中で彼女のアンドロイドに詩を朗読させると、この感じはいっそう強まり、観客にはアンドロイドならではの、不可侵な神々しさが感じられます。人形劇とは違い、本物そっくりなのに、どこかが微妙に「人間より綺麗」。
Fさんのジェミノイドと親しく話をしたあとで、本物に会うと、何か恥ずかしくて赤くなってしまう男性。またジェミノイドだからと不作法に手を握ったりする別の男性に対して、不愉快な感じがしたり。さらにはFさんのジェミノイドを操作しているうちに、自分とは似ていないのに、その体を自分のものだと感じはじめてしまう第三者の女性。ジェミノイドとはすなわち「わたし」が乗り移った存在であるとともに、どこか確固たる「本当のわたし自身」の体。では分離してここにいる「わたし」とは何ものか。
また、ジェミノイドを操作して、別の人と対話するさいに、相手に向かってしゃべることに熱中してしまう一般人はすぐに操作を誤ってしまうが、役者は「見られかた」をいつも意識しているので、ひじょうに自然に操ることができるという三人称的視覚のありかたなども。
しかし本書は、そっくりロボットの作り方自体を語りたい本ではありません。
著者は人間とは何かを考えるために、人間そっくりのアンドロイドを作って、遠隔操作でしゃべらせたりほほえませたりさせたあと、人間のがわに生じる奇妙な心理のほうを追ってゆきます。
人間の「自分とは何か」「自分の体とは何か」「人と関わるとは」の感じ方のふしぎをあぶりだす、ぞくぞくするような体験談の一冊です。
中心になっているのは、二体のそっくりロボットの元となった、著者自身と、女性Fさん。
まず、遠隔操作で自分そっくりのアンドロイド(ジェミノイド)を扱っているうち、ふたりは自分の体がそこにある、という気持ちになります。自分意識がそこに及んでしまい、人にさわられたりすると、変な感じがしたりします。
またFさんは自分そっくりのこのアンドロイドを、自分よりも透明で無垢で美しい存在、自分の理想と感じます。
平田オリザ氏とのコラボ演劇の中で彼女のアンドロイドに詩を朗読させると、この感じはいっそう強まり、観客にはアンドロイドならではの、不可侵な神々しさが感じられます。人形劇とは違い、本物そっくりなのに、どこかが微妙に「人間より綺麗」。
Fさんのジェミノイドと親しく話をしたあとで、本物に会うと、何か恥ずかしくて赤くなってしまう男性。またジェミノイドだからと不作法に手を握ったりする別の男性に対して、不愉快な感じがしたり。さらにはFさんのジェミノイドを操作しているうちに、自分とは似ていないのに、その体を自分のものだと感じはじめてしまう第三者の女性。ジェミノイドとはすなわち「わたし」が乗り移った存在であるとともに、どこか確固たる「本当のわたし自身」の体。では分離してここにいる「わたし」とは何ものか。
また、ジェミノイドを操作して、別の人と対話するさいに、相手に向かってしゃべることに熱中してしまう一般人はすぐに操作を誤ってしまうが、役者は「見られかた」をいつも意識しているので、ひじょうに自然に操ることができるという三人称的視覚のありかたなども。