行為と出来事 の感想
参照データ
タイトル | 行為と出来事 |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | ドナルド デイヴィドソン |
販売元 | 勁草書房 |
JANコード | 9784326100828 |
カテゴリ | 人文・思想 » 哲学・思想 » 西洋思想 » イギリス・アメリカ |
購入者の感想
現代哲学の主要人物の一人、デイヴィドソンの主著。
有名な論文、「行為・理由・原因」や「心的出来事」を含む、9本の論文からなる。
この本がレビュー無しとは驚きだ。
「行為・理由・原因」では、ウィトゲンシュタインやライルの唱える「行為の理由は、その行為の原因ではない」という論を反駁する。
デイヴィドソンは、理由を与える、すなわち合理化は、因果的な説明の一種であるとする。
そして、理由=原因論にたいするさまざまな反論を検証し、再反論していく。
例えば、理由は当の出来事の再記述に過ぎないという反論に対し、デイヴィドソンは、原因もしばしば再記述であると指摘する。
また、理由は信念や態度であり、それらは状態だが出来事ではないので原因足りえないという反論に対し、状態も原因になりうると論じる。
結果と原因は論理的に別なものだが、理由は結果と論理的に同じだという反論には、原因と結果を論理的ではなく経験的なものととらえるのは誤りだと主張する。
理由は行為者が直接に知りうるが、因果関係はそうではないという反論には、因果関係もやはり直接に知りうるし、本人が因果関係を間違いうることは本質的な問題ではないとする。
「心的出来事」では、心の哲学において、非法則的一元論を唱える。
物と心とが同一か否かという一元論/二元論の対立では、彼は一元論を取る。
しかし、心的出来事と物的出来事との間には、法則的関係は成り立たないと主張する。
まず、デイヴィドソンは、ある法則体系について、その法則の一般化がその体系内(の語彙)で行える同種法則的一般化と、そうではない異種法則的一般化とに峻別する。
そして、物的なものはそれ自体で閉じた体系をなしており(物理法則で完璧な説明が可能)、心的なものは開いた体系をなしている(常に背景の心理を考える必要がある)。
さて、二種類のまったく異なる体系を結び付けるには、異種法則的一般化が必要なのだが、それはすなわち翻訳である。
しかし、クワインの翻訳の不確定性テーゼにより、物的枠組みと心的枠組みとを結びつける翻訳コードは複数存在しうる。
有名な論文、「行為・理由・原因」や「心的出来事」を含む、9本の論文からなる。
この本がレビュー無しとは驚きだ。
「行為・理由・原因」では、ウィトゲンシュタインやライルの唱える「行為の理由は、その行為の原因ではない」という論を反駁する。
デイヴィドソンは、理由を与える、すなわち合理化は、因果的な説明の一種であるとする。
そして、理由=原因論にたいするさまざまな反論を検証し、再反論していく。
例えば、理由は当の出来事の再記述に過ぎないという反論に対し、デイヴィドソンは、原因もしばしば再記述であると指摘する。
また、理由は信念や態度であり、それらは状態だが出来事ではないので原因足りえないという反論に対し、状態も原因になりうると論じる。
結果と原因は論理的に別なものだが、理由は結果と論理的に同じだという反論には、原因と結果を論理的ではなく経験的なものととらえるのは誤りだと主張する。
理由は行為者が直接に知りうるが、因果関係はそうではないという反論には、因果関係もやはり直接に知りうるし、本人が因果関係を間違いうることは本質的な問題ではないとする。
「心的出来事」では、心の哲学において、非法則的一元論を唱える。
物と心とが同一か否かという一元論/二元論の対立では、彼は一元論を取る。
しかし、心的出来事と物的出来事との間には、法則的関係は成り立たないと主張する。
まず、デイヴィドソンは、ある法則体系について、その法則の一般化がその体系内(の語彙)で行える同種法則的一般化と、そうではない異種法則的一般化とに峻別する。
そして、物的なものはそれ自体で閉じた体系をなしており(物理法則で完璧な説明が可能)、心的なものは開いた体系をなしている(常に背景の心理を考える必要がある)。
さて、二種類のまったく異なる体系を結び付けるには、異種法則的一般化が必要なのだが、それはすなわち翻訳である。
しかし、クワインの翻訳の不確定性テーゼにより、物的枠組みと心的枠組みとを結びつける翻訳コードは複数存在しうる。