関係としての自己 の感想
参照データ
タイトル | 関係としての自己 |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 木村 敏 |
販売元 | みすず書房 |
JANコード | 9784622071440 |
カテゴリ | ジャンル別 » 人文・思想 » 哲学・思想 » 哲学 |
購入者の感想
時間は二つの捉え方がある。
一つは、過去から現在、未来という方向で流れているとイメージする見方である。
しかし、この見方は時間そのものの表象ではなく、何かの運動あるいは変化の表象であり「認識的な時間表象」である。
もう一つの見方として、未来と過去の出来事を事後的に現在の前後に投影した「行為的な時間表象」ともいうべきものがある。
前者は記憶について過去の出来事が脳に保存されていると考える。
後者は記憶は現在そのものの「直下」にあって、これまでの人生の途上で起こった様々な出来事に、現在の時点で見たその歴史的意味を与える潜在的な「場」があると考える。
現在の出来事がアクチュアリティ(活動の現場)としては過ぎ去って戻らないにもかかわらず、現在の意識下のどこかに潜勢的に保存されていて必要があれば再び現勢的に意識化できるという事実を指すことになる。
出来事そのものは二度と再現しなくても、出来事がアクチュアリティとしてそのときどきの現在をいろどっていた意味のようなもの(クオリア)を生々しく思いだすことができる。
このように、記憶を<あいだ>として捉えると意識的な現勢層と意識下の潜勢層との二層からなっていて、この二重性がそのつどの現在に意味の歴史性を与える。という著者の洞察である。
一つは、過去から現在、未来という方向で流れているとイメージする見方である。
しかし、この見方は時間そのものの表象ではなく、何かの運動あるいは変化の表象であり「認識的な時間表象」である。
もう一つの見方として、未来と過去の出来事を事後的に現在の前後に投影した「行為的な時間表象」ともいうべきものがある。
前者は記憶について過去の出来事が脳に保存されていると考える。
後者は記憶は現在そのものの「直下」にあって、これまでの人生の途上で起こった様々な出来事に、現在の時点で見たその歴史的意味を与える潜在的な「場」があると考える。
現在の出来事がアクチュアリティ(活動の現場)としては過ぎ去って戻らないにもかかわらず、現在の意識下のどこかに潜勢的に保存されていて必要があれば再び現勢的に意識化できるという事実を指すことになる。
出来事そのものは二度と再現しなくても、出来事がアクチュアリティとしてそのときどきの現在をいろどっていた意味のようなもの(クオリア)を生々しく思いだすことができる。
このように、記憶を<あいだ>として捉えると意識的な現勢層と意識下の潜勢層との二層からなっていて、この二重性がそのつどの現在に意味の歴史性を与える。という著者の洞察である。