岩波キリスト教辞典 の感想
参照データ
タイトル | 岩波キリスト教辞典 |
発売日 | 販売日未定 |
販売元 | 岩波書店 |
JANコード | 9784000802024 |
カテゴリ | 人文・思想 » 宗教 » キリスト教・ユダヤ教 » キリスト教一般 |
購入者の感想
様々な分野に手を出しては居るが、必要性の高い事典向きの基本的記事は執筆されていないか記述量が少なく、マニアックな事件・芸術作品・人物についての記事量は多いというように、バランスの悪さが目立つ。
執筆陣個々人には尊敬する執筆者も含まれているためここまで書くのは心苦しいが、私の知る限りにおいては、執筆陣にそれなりの人材を迎えているこのクラスの事典としては、最低の出来である。
個々の記事について言えば、特に「フィリオクェ」の項目で、大森正樹はこの問題を「東西教会の重要な相違とはいえない」とまで断言してしまっている。そのような見解はあるにはあるが、教父神学の大家ウラディーミル・ロースキイがこの問題に多くを割いた事を鑑みれば、あまりに一方的な評価の記述と謂わざるを得ない。
ニル・ソールスキーについては、彼は正教において列聖されて著名な聖人となっているにも関わらず、この項目の執筆者である安村仁志はその事実には一切触れずに、単純に非所有派の指導者であったという関連から「彼の立場は退けられた」としてしまっているが、これは誤謬の域に達している。
事典には似つかわしくない「評価」の記述が本書の様々なところにある他、数々指摘出来る誤謬から、他の記事についての質についても疑わざるを得ない。
「かもしれない」といった、本当に事典なのか疑わせるような推測までが書かれる項目もある。例としての項目は、「その日の苦労は、その日だけで十分である」。
キリスト教全体でもコンセンサスが得られているとは謂いがたい問題について、独自研究論文のような体裁が目立つ記事もある。例としては「祖先崇拝」「宗教戦争」。
記述が根本的に不足しているケースもある。「カノン」は音楽的な面からのみに記述され、教会法、および祈祷文における用例については、驚くべき事に記述がゼロである。これでは音楽事典に記載した方が良いのではないだろうか。
そもそも「キリスト教辞典」に「核兵器」なる項目が必要なのか?「キリスト教辞典」に必要性すら疑わしい記事に結構な分量が割かれてもいる。
執筆陣個々人には尊敬する執筆者も含まれているためここまで書くのは心苦しいが、私の知る限りにおいては、執筆陣にそれなりの人材を迎えているこのクラスの事典としては、最低の出来である。
個々の記事について言えば、特に「フィリオクェ」の項目で、大森正樹はこの問題を「東西教会の重要な相違とはいえない」とまで断言してしまっている。そのような見解はあるにはあるが、教父神学の大家ウラディーミル・ロースキイがこの問題に多くを割いた事を鑑みれば、あまりに一方的な評価の記述と謂わざるを得ない。
ニル・ソールスキーについては、彼は正教において列聖されて著名な聖人となっているにも関わらず、この項目の執筆者である安村仁志はその事実には一切触れずに、単純に非所有派の指導者であったという関連から「彼の立場は退けられた」としてしまっているが、これは誤謬の域に達している。
事典には似つかわしくない「評価」の記述が本書の様々なところにある他、数々指摘出来る誤謬から、他の記事についての質についても疑わざるを得ない。
「かもしれない」といった、本当に事典なのか疑わせるような推測までが書かれる項目もある。例としての項目は、「その日の苦労は、その日だけで十分である」。
キリスト教全体でもコンセンサスが得られているとは謂いがたい問題について、独自研究論文のような体裁が目立つ記事もある。例としては「祖先崇拝」「宗教戦争」。
記述が根本的に不足しているケースもある。「カノン」は音楽的な面からのみに記述され、教会法、および祈祷文における用例については、驚くべき事に記述がゼロである。これでは音楽事典に記載した方が良いのではないだろうか。
そもそも「キリスト教辞典」に「核兵器」なる項目が必要なのか?「キリスト教辞典」に必要性すら疑わしい記事に結構な分量が割かれてもいる。