そして最後にヒトが残った―ネアンデルタール人と私たちの50万年史 の感想

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参照データ

タイトルそして最後にヒトが残った―ネアンデルタール人と私たちの50万年史
発売日販売日未定
製作者クライブ・フィンレイソン
販売元白揚社
JANコード9784826901703
カテゴリ » ジャンル別 » 科学・テクノロジー » 科学読み物

購入者の感想

本書は、英語原版の発行のタイミングがたいへん微妙だったことで、過小評価されてしまったと思います。もし、執筆が長引き、本書の発行が1年少々遅れS.ペーボらの論文の要旨に沿って修正が加えられていたなら、まさに"Just Timing"でベストセラーになっていたと思います。最後の1ピースが「種としてのネアンデルタール人はこのジブラルタルで息絶えたが、彼らは絶滅したわけではない。われわれホモサピエンスに吸収されたのだ」であったらまさに完璧でしたね。

これまで各種の人類が現れては消えたなか、なぜ現生人類(ホモサピエンス)だけが生き残ったのかを、考古学、古人類学、古気象学、古地形学、古生物学、生態学、分子人類学など多方面からアプローチし考察します。

そのなか、気候の変動による地表植生の変動、海水面の変動などが、ホモサピエンスをはじめとする各種ヒト族の存亡に大きな影響を及ぼしていたことを強調しています。ヨーロッパ居住のネアンデルタール人は、数十万年前からの気候の寒冷化により南方への避難を余儀なくされ、欧州南部に斑点状に生存域が分断されたことで遺伝的多様性を失ない絶滅につながったとしています。一方、ホモサピエンスの一部はその時期をユーラシアを東西に繋ぐ中央アジアのツンドラステップに居住していて、そこに群れを成す大型動物を捕らえるために狩猟法を集団で行う方向に発展させ半定住生活を始めたことで、集団としての社会(村)を発展させ生き残りに成功したとしています。つまり新たな技術を開発し、新たな社会システムを導入するというイノベーションが後の発展につながったと考えています。また別のホモサピエンス集団はアジアの沿岸部で生活していたため別のやり方で発展をとげ、のち河川ルートを経て前者と融合することになります。我々ホモサピエンスが生き残ったのは、居住地の時期と場所の偶然性(適材適所)と先住者とのほんのわずかな技術・社会的な差が運命を分けたと結論しています。

人類の進化やネアンデルタール人をめぐる謎は尽きないが、そうした謎をスッキリ解明してくれる書物を期待して読むとちょっとがっかりするかもしれない。
著者は途中、「簡単に言ってしまえば、私たちは知らないのである。」と言い、偏頗な資料や薄弱な根拠に基づいて画期的な結論に飛びつく学者やメディアに警鐘を鳴らしている。が、逆にこうした研究者としての自己規制や矜持が、論旨をあいまい・複雑にし、読み物としての楽しさをやや減じている気もする。

現環境にあぐらをかくコンサバティブに対し、周縁部にいて環境の変化に機敏に対応できたイノベーターが最終的に生き残る、といった議論の大枠は理解できるが、この理論ですべてを説明できるとは思えなかった。
でも、ヒトの定住化や人口増加の原因を農耕の開始にもとめる定説に対し、一見過酷な環境であるツンドラステップ(永久凍土)での食料保存、余剰物を作り出しそれを管理する技術こそが最大のイノベーションであったとする説は、充分説得力があった。

それにしても、人類が進化した時代というのは、氷期と温暖期がめまぐるしく変動し、地球レベルで激烈な気候変動と環境変化にさらされた時代だったんだなあ、と実感しつつ、その環境の激変にもみくちゃにされながら絶滅し、あるいは生きのびてきた我々の祖先たちに思いを馳せながら読むことができた。

 かつてヨーロッパから西アジアにまで分布し、現生人類より身体も脳も大きかったというネアンデルタール人。では、そんな彼らはなぜ絶滅し、なぜ現生人類が生き残ったのだろうか――議論かまびすしいこの問題に、本書はまた新たな視点から挑戦する。
 ただし、本書はけっして「わかりやすい」本ではない。というのも、本書は上記の問題に対して、(たとえば「現生人類はネアンデルタール人よりも○○の点ですぐれていたから」という)単純な答えは用意していないからである。むしろこの著者によれば、現生人類が生き残れたのは、「偶然と幸運」のおかげであり、さらにいえば、「気候変動と環境変化」が味方したからにほかならない。ネアンデルタール人と現生人類の運命は、「[たまたま]適切な時に適切な場所にいること、そして気候に大きく左右された」(190頁)のである。
 もうひとつ、本書の議論で重要な役割を果たしているのが、「コンサバティブ」と「イノベーター」という概念だ。生息可能な地域の中心を占拠していて、変化を嫌うコンサバティブに対し、イノベーターは周縁部に追いやられていて、つねに過酷な環境に対処していかなければならない。だがじつは、それだからこそ、人類の長い歴史をみると、大きな環境変化後も生き延びたのは、たびたび後者のイノベーターだったという。つまり、「弱者こそが生き残る」という逆説が、そこにはみてとれるというのである。
 というのが、本書の議論のおもな道具立てである。ただ、その議論は各場面でつねに個別的であり、その意味でも「わかりやすい」ものではない。また著者は、少ない証拠から早急な結論を導き出すことをたびたび拒否する。それはまさしく研究者としての誠実さにほかならないが、しかし読者も最後までその姿勢にきちんと付きあえるかどうか。
 議論かまびすしい冒頭の問題に関しては、本書の議論も「決定的な解答」とみなされることはないだろう。ただ、その議論の運びには好印象を受けるし、そしてそれゆえに、知識を仕入れるためにも読んでおいて損はない1冊だと思う。

かつて地球上には多様な種に分化した人類が闊歩していた。しかし、絶滅を免れて今日まで生き延びたのは我々ホモ・サピエンスだけだった。それは何故だったのか。ネアンデルタール人その他の人類はホモ・サピエンスに比べて知能が劣っていたり、言葉が使えなかったり、手先が器用でなかったりしたのだろうか。あるいは、ホモ・サピエンスによって絶滅へと追いやられたのだろうか。どうやら、ホモ・サピエンスの「勝利」の理由はそのどれでもないらしい。我々は進化上の頂点に立っていたわけではなく、進化的な観点からすると他の人類と比べて特別な存在だったわけではないらしいのだ。

むしろ、ホモ・サピエンスは、先に登場した人類に住みやすい土地を占拠されていたため、周縁部の苛酷な生活環境に追いやられていた「弱者」だった。しかし、そうした困難な環境に適応しなければならなかったことがホモ・サピエンスに地球規模の気候変動を生き延びる能力を与えたのだった。資源の乏しい周縁部に生きる人類は生き残るためには何でもしなくてはいけなかった。そうやって単一の資源に依存しない生存様式を確立したことで、他の人類を絶滅へと追いやった環境の変化にも耐えてホモ・サピエンスは生き延びることができたのである。

周縁部に追いやられ、その移ろいやすい苛酷な生存環境への適応を迫られるがゆえに絶えず絶滅の危険にさらされている「イノベータ」と、自らの生存基盤となる安定的な環境を独占できた代わりに、ひとたびその環境を失うと立ち行かなくなる危険と背中合わせの「コンサバティブ」。本書中で繰り返されるこの両者の対比は、クリエイティビティとイノベーションの問題一般にも通底する非常に示唆的なものだと思います。

この本が、近年発展著しい絶滅人類の研究の最前線を知るのに最適の著作なのかどうかはよく分かりませんが、読んでいて非常に思考を刺激してくれる優れた著作であることは間違いありません。0

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