人間の建設 (新潮文庫) の感想
参照データ
タイトル | 人間の建設 (新潮文庫) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 小林 秀雄 |
販売元 | 新潮社 |
JANコード | 9784101007083 |
カテゴリ | ジャンル別 » 文学・評論 » 評論・文学研究 » 論文集・講演集・対談集 |
購入者の感想
これは本当に凄い本だと思います。
多変数関数論の難題を解決して、多変数関数論の基礎を築いた岡潔と類まれな批評家 小林秀雄との対談であり、普段はこのような形で接することがないであろう理科系の巨人と文科系の巨人同士の対談です。
「雑談」とありますが、その通りの「雑談」なのですが、非常にレベルの高い雑談です。テーマは色々なところを駆け巡る様は読んでいても面白い。そして、岡潔さんの非常に感覚的な話を、きっちりと文章になるレベルまで聞き込んでいく小林秀雄さんとのやりとりは、予定調和的な素振りも無くお互いの考えがぶつかっていく様はスリリングでもあります。
私は、岡潔さんの著書を何冊か読みましたが、この本にも出てくる「情緒」の意味合いがいまひとつ判っていませんでした。しかし、小林秀雄さんに「情緒」について語るのを読み、やっと判った様な気がしてきました。これは、小林秀雄さんが妥協することなく岡潔さんのいう「情緒」について聞き込んでいく姿勢と言葉に対しての鋭い感覚があったからだと思います。本当に凄い。
お二人は既に亡くなってしまい、今となっては、直接このような言葉を聞くことはできません。
しかし書籍として、この二人の対談に触れることができることは非常に貴重なことだし、歴史を越えてこのような人と接することのできる本の力というのは、あらためて凄いものだと感じました。
非常に面白い一冊だと思います。
多変数関数論の難題を解決して、多変数関数論の基礎を築いた岡潔と類まれな批評家 小林秀雄との対談であり、普段はこのような形で接することがないであろう理科系の巨人と文科系の巨人同士の対談です。
「雑談」とありますが、その通りの「雑談」なのですが、非常にレベルの高い雑談です。テーマは色々なところを駆け巡る様は読んでいても面白い。そして、岡潔さんの非常に感覚的な話を、きっちりと文章になるレベルまで聞き込んでいく小林秀雄さんとのやりとりは、予定調和的な素振りも無くお互いの考えがぶつかっていく様はスリリングでもあります。
私は、岡潔さんの著書を何冊か読みましたが、この本にも出てくる「情緒」の意味合いがいまひとつ判っていませんでした。しかし、小林秀雄さんに「情緒」について語るのを読み、やっと判った様な気がしてきました。これは、小林秀雄さんが妥協することなく岡潔さんのいう「情緒」について聞き込んでいく姿勢と言葉に対しての鋭い感覚があったからだと思います。本当に凄い。
お二人は既に亡くなってしまい、今となっては、直接このような言葉を聞くことはできません。
しかし書籍として、この二人の対談に触れることができることは非常に貴重なことだし、歴史を越えてこのような人と接することのできる本の力というのは、あらためて凄いものだと感じました。
非常に面白い一冊だと思います。
今はこういう人がいなくなった。
本書を読んでまず最初に思う言葉です。
小林秀雄と言えば、批評を独立したジャンルとして確立した日本の知性であり、岡潔といえば日本が生んだ世紀の数学者です。
この文理両方の天才の対談は、今新聞や雑誌などで展開されている対談の質とまったく異なる異次元です。現代の対談が、地べたを這うミミズの会話にさえ思えてきます。
21世紀にいたり、社会、文化、学問が複雑化するにつれ、知識人と言われる人たちの会話が本質からどんどん離れて行っています。それぞれの分野では天才的でも、一般社会を論じ始めると、単なる玄人ぶった素人同士の会話になります。
先見の明もなければ、洞察もない、単なるレトリックと専門的技術を流用しただけの言葉の応酬となります。
この二人の会話は、ものごとの奥を見据えて、その目で、ぐっと将来を見通した対談です。
岡潔氏の「理性というものでは、到底現状を防げるとは思いません。感情、情緒というものが眠っているのです。」という言葉はなかなか言えるものではありません。
現代が、こうした時代になってしまったからこそ、この45年前に行われた対談の価値がますます大きくなってきます。現代の必読書ではないでしょうか。
本書を読んでまず最初に思う言葉です。
小林秀雄と言えば、批評を独立したジャンルとして確立した日本の知性であり、岡潔といえば日本が生んだ世紀の数学者です。
この文理両方の天才の対談は、今新聞や雑誌などで展開されている対談の質とまったく異なる異次元です。現代の対談が、地べたを這うミミズの会話にさえ思えてきます。
21世紀にいたり、社会、文化、学問が複雑化するにつれ、知識人と言われる人たちの会話が本質からどんどん離れて行っています。それぞれの分野では天才的でも、一般社会を論じ始めると、単なる玄人ぶった素人同士の会話になります。
先見の明もなければ、洞察もない、単なるレトリックと専門的技術を流用しただけの言葉の応酬となります。
この二人の会話は、ものごとの奥を見据えて、その目で、ぐっと将来を見通した対談です。
岡潔氏の「理性というものでは、到底現状を防げるとは思いません。感情、情緒というものが眠っているのです。」という言葉はなかなか言えるものではありません。
現代が、こうした時代になってしまったからこそ、この45年前に行われた対談の価値がますます大きくなってきます。現代の必読書ではないでしょうか。
読んでいて面白いなと思ったのは、芭蕉の句がこれだけ残っているのは、本人を良く知っていた弟子たちが、名句だとみんなで言ったからであって、そこには《芭蕉に附き合った人だけにわかっている何か微妙なものがあるのじゃないか》というあたり(p.77)。この話には、小林秀雄が知り合いの骨董屋さんから、李朝白磁の徳利をぶんどるようにしてポケットにねじ込んで持ってきてしまった日の俳句が、たまたま残っていたという前段があります。小林秀雄は死んでしまったその骨董商の息子さんから俳句集に前書きを書いてくれないかと頼まれて、あらためてその俳句を眺めてみると、その人を知っているからこそのおもしろみがあった、というんです。
あと永井龍男の『青梅雨』は読んでみようかな、と。
そして『青梅雨』を激賞したあと、お二人とも素読教育の必要性で意気投合するのですが、ぼくなんかも、素読なんか教えてもらえるような家ではなかったので、そんなのをやってもらっていれば、と憧れに似た気分を持ちますね。
論語の意味なんて、人により、年齢によってさまざな意味にとれるし、一生かかってもわからいかもしれない、それなら意味を教えるのは曖昧な教育であり《丸暗記させる教育だけが、はっきりした教育です》(p.145)という小林秀雄の言い方は、なかなかええな、と。そういえば、岡潔さんも『春宵十話』で丸暗記の力は《練習してのばすとすれば中学三年生ごろが適当で、あとではのびないものだ》(p.24、光文社文庫)と語っていました。0
あと永井龍男の『青梅雨』は読んでみようかな、と。
そして『青梅雨』を激賞したあと、お二人とも素読教育の必要性で意気投合するのですが、ぼくなんかも、素読なんか教えてもらえるような家ではなかったので、そんなのをやってもらっていれば、と憧れに似た気分を持ちますね。
論語の意味なんて、人により、年齢によってさまざな意味にとれるし、一生かかってもわからいかもしれない、それなら意味を教えるのは曖昧な教育であり《丸暗記させる教育だけが、はっきりした教育です》(p.145)という小林秀雄の言い方は、なかなかええな、と。そういえば、岡潔さんも『春宵十話』で丸暗記の力は《練習してのばすとすれば中学三年生ごろが適当で、あとではのびないものだ》(p.24、光文社文庫)と語っていました。0