河内源氏 頼朝を生んだ武士本流 (中公新書) の感想
参照データ
タイトル | 河内源氏 頼朝を生んだ武士本流 (中公新書) |
発売日 | 2014-07-11 |
製作者 | 元木泰雄 |
販売元 | 中央公論新社 |
JANコード | 登録されていません |
カテゴリ | 歴史・地理 » 日本史 » 一般 » 日本史一般 |
購入者の感想
源頼信を祖とする清和流河内源氏の盛衰を詳述した書。
まず、冒頭の清和源氏の系図は、清和流の他の源氏も詳しく掲載しており、清和源氏に興味を持つ者にとっては興味深い。大和源氏、満政流、義光流らの系図が詳しく記載されており、本書を読みつつ、何度も参照した。
そして、本書で興味を惹かれたのは次の点である。
第一は、河内源氏の盛衰を詳細に綴っている点、とりわけ、マイナーと思われる部分が詳しく取り上げられている点である。源経基・満仲に始まり、河内源氏の始祖・頼信の器量の大きさと強かさ、それを引き継ぎ奥州での前九年の役で勝利をもぎ取った頼義、栄光と挫折、そして苦悩に満ちた八幡太郎義家の生涯、義家没後の内紛と没落、保元・平治の乱による壊滅という、河内源氏の200年史は、とても読み応えがあった。
そして、頼信の東国での活躍や、義家没後の義綱・為義らによる内紛劇は、頼義・義家親子の奥州での活躍や、為義・義朝親子の対立劇に比べると影が薄いはずなのだが、そういったマイナーな部分が詳しく綴られており、それが特によかった。
第二は、従来の歴史観とは異なる、筆者による河内源氏の歴史観である。すなわち、河内源氏は代々東国武士団と主従関係を深め、源義家に至って東国武士団の棟梁として大きな力を持つに至ったため、それを恐れた朝廷から圧力を受け、ゆえに義家の死後に没落したという従来の歴史観に対して異を唱えている点である。
著者は、全国の武士団が義家を武家の棟梁とみなして、馳せ参じる、あるいは、馳せ参じようとするといったことは現実的には考え難いとして、義家の時代に河内源氏がすでに東国を中心として武士団を統率していたという従来の歴史観を否定している。
個人的には、八幡太郎義家といえば、天下第一の武勇の士というイメージを持っていたので寂しくも思うけれど、著者の言うように、当時、顔も知らない義家の武名だけで全国の武士が馳せ参じるというのも、不自然である。
まず、冒頭の清和源氏の系図は、清和流の他の源氏も詳しく掲載しており、清和源氏に興味を持つ者にとっては興味深い。大和源氏、満政流、義光流らの系図が詳しく記載されており、本書を読みつつ、何度も参照した。
そして、本書で興味を惹かれたのは次の点である。
第一は、河内源氏の盛衰を詳細に綴っている点、とりわけ、マイナーと思われる部分が詳しく取り上げられている点である。源経基・満仲に始まり、河内源氏の始祖・頼信の器量の大きさと強かさ、それを引き継ぎ奥州での前九年の役で勝利をもぎ取った頼義、栄光と挫折、そして苦悩に満ちた八幡太郎義家の生涯、義家没後の内紛と没落、保元・平治の乱による壊滅という、河内源氏の200年史は、とても読み応えがあった。
そして、頼信の東国での活躍や、義家没後の義綱・為義らによる内紛劇は、頼義・義家親子の奥州での活躍や、為義・義朝親子の対立劇に比べると影が薄いはずなのだが、そういったマイナーな部分が詳しく綴られており、それが特によかった。
第二は、従来の歴史観とは異なる、筆者による河内源氏の歴史観である。すなわち、河内源氏は代々東国武士団と主従関係を深め、源義家に至って東国武士団の棟梁として大きな力を持つに至ったため、それを恐れた朝廷から圧力を受け、ゆえに義家の死後に没落したという従来の歴史観に対して異を唱えている点である。
著者は、全国の武士団が義家を武家の棟梁とみなして、馳せ参じる、あるいは、馳せ参じようとするといったことは現実的には考え難いとして、義家の時代に河内源氏がすでに東国を中心として武士団を統率していたという従来の歴史観を否定している。
個人的には、八幡太郎義家といえば、天下第一の武勇の士というイメージを持っていたので寂しくも思うけれど、著者の言うように、当時、顔も知らない義家の武名だけで全国の武士が馳せ参じるというのも、不自然である。