わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書) の感想
参照データ
タイトル | わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 平田 オリザ |
販売元 | 講談社 |
JANコード | 9784062881777 |
カテゴリ | ジャンル別 » 社会・政治 » 社会学 » 社会一般 |
購入者の感想
目から鱗のコミュニケーション哲学。
今の生きづらい世の中と、繋がりかたを考えられる本です。何が生きづらくしてて、その中で私たちがどう生きていくかが、よくまとまっています。これからに必要な知識です。ただ、演劇ベースに話してるため本当かなぁ?感はあります、が参考にする価値のある本です。
今の生きづらい世の中と、繋がりかたを考えられる本です。何が生きづらくしてて、その中で私たちがどう生きていくかが、よくまとまっています。これからに必要な知識です。ただ、演劇ベースに話してるため本当かなぁ?感はあります、が参考にする価値のある本です。
「いい子を演じることに疲れない子どもを作ることが、
教育の目的ではなかったか」
本書の最終章で語られる一言に、強い意志を感じました。
「『いい子を演じるのに疲れた』という子どもたちに、
『もう演じなくていいんだよ、本当の自分を見つけなさい』
と囁くのは、大人の欺瞞に過ぎない」
演劇人・平田氏は、「演じる」ことの力を、そしてその厳しさ
を知っているのでしょう。
不登校の子が「いい子を演じるのに疲れた」と言うの対して、
「本気で演じたこともないくせに、軽々しく『演じる』なんて使うな」
という話をするそうです。
本書は、「素の自分でコミュニケーションをとらなければいけない」
という強迫性をやわらげてくれます。
教育の目的ではなかったか」
本書の最終章で語られる一言に、強い意志を感じました。
「『いい子を演じるのに疲れた』という子どもたちに、
『もう演じなくていいんだよ、本当の自分を見つけなさい』
と囁くのは、大人の欺瞞に過ぎない」
演劇人・平田氏は、「演じる」ことの力を、そしてその厳しさ
を知っているのでしょう。
不登校の子が「いい子を演じるのに疲れた」と言うの対して、
「本気で演じたこともないくせに、軽々しく『演じる』なんて使うな」
という話をするそうです。
本書は、「素の自分でコミュニケーションをとらなければいけない」
という強迫性をやわらげてくれます。
これは、プレゼンや人づきあいがうまくなって仕事や人生で成功しよう、などというイカサマ・ハウツー本ではありません。むしろ、それへの疑問です。
劇作家であり、阪大コミュニケーションデザインセンター教授である著者は、近代演劇では「対話」が最重要視されると言います。「対話」とは、著者によれば、あまり親しくない人同士のあいだで、あるいは、親しい人同士のあいだでも、異なる価値観や情報について交換し合ったり、すりあわせをしたりすることですが、日本社会にはこの「対話」という考えがほとんど存在しないと言うのです。
著者は、この日本の子どもたち、若者たちに、察しあったり、わかりあったりする日本文化も尊重しつつ、それに加えて、他者に向かって言葉によって説明する能力を獲得させたいと願いつつ、同時に、「対話的な精神」とは、異なる価値観の人と出会い、それを通して、自分の意見が変わっていくことを受け入れる態度のことだと述べています。つまり、コミュニケーションとは、自分の考えをうまく伝えるだけでなく、相手の声に耳を傾け、さらには、そこから何かが創造されることなのです。
平田さんはさらに、対話の冗長率の重要性、日本の近代国家の国語形成において「対話」の言葉育てがなおざりにされたこと、たとえば、対等な立場の者同士が褒め合うための言葉、女性上司が男性部下に使う言葉の欠落などを説得的に指摘しています。
本著の中で、もう一つ、重要な点を挙げれば、「弱者のコンテクストを理解する能力」の必要性の指摘です。つまり、社会的弱者は、さまざまな障壁により、自分の気持ちを整理して伝えることができない場合が多いが、筆者は、自分の学生には、論理的に話す力より、論理的に話せない人々の気持ちを汲むような人間になってほしいと願っています。
平田さんの指摘通り、ここは対話が不景気な社会です。職場、サークル、政治、宗教、医療などの場が対話的になれば、どんなに景気が良くなることでしょうか。それにはきっと革命が必要でしょうが、自分の周辺にひとつ、ふたつ、そういう場を創造し、確保するために歩み始めたいという思いが強まりました。
劇作家であり、阪大コミュニケーションデザインセンター教授である著者は、近代演劇では「対話」が最重要視されると言います。「対話」とは、著者によれば、あまり親しくない人同士のあいだで、あるいは、親しい人同士のあいだでも、異なる価値観や情報について交換し合ったり、すりあわせをしたりすることですが、日本社会にはこの「対話」という考えがほとんど存在しないと言うのです。
著者は、この日本の子どもたち、若者たちに、察しあったり、わかりあったりする日本文化も尊重しつつ、それに加えて、他者に向かって言葉によって説明する能力を獲得させたいと願いつつ、同時に、「対話的な精神」とは、異なる価値観の人と出会い、それを通して、自分の意見が変わっていくことを受け入れる態度のことだと述べています。つまり、コミュニケーションとは、自分の考えをうまく伝えるだけでなく、相手の声に耳を傾け、さらには、そこから何かが創造されることなのです。
平田さんはさらに、対話の冗長率の重要性、日本の近代国家の国語形成において「対話」の言葉育てがなおざりにされたこと、たとえば、対等な立場の者同士が褒め合うための言葉、女性上司が男性部下に使う言葉の欠落などを説得的に指摘しています。
本著の中で、もう一つ、重要な点を挙げれば、「弱者のコンテクストを理解する能力」の必要性の指摘です。つまり、社会的弱者は、さまざまな障壁により、自分の気持ちを整理して伝えることができない場合が多いが、筆者は、自分の学生には、論理的に話す力より、論理的に話せない人々の気持ちを汲むような人間になってほしいと願っています。
平田さんの指摘通り、ここは対話が不景気な社会です。職場、サークル、政治、宗教、医療などの場が対話的になれば、どんなに景気が良くなることでしょうか。それにはきっと革命が必要でしょうが、自分の周辺にひとつ、ふたつ、そういう場を創造し、確保するために歩み始めたいという思いが強まりました。
自分が就活をしていた頃、
企業が欲しい人材は、「コミュニケーション力」がある人でした。
これは、今もさほど変わっていないでしょう。
でも、この「コミュニケーション力」って、いったい何なのか?
疑問に思い始めたのは、仕事をして、暫らくたった頃でした。
それは、日本で(重宝される)「コミュニケーション力」とは、非常に協調性を重視しているのにも関わらず、
なぜか、求めるものは、自主性だったりします。自分の意見をしっかりと論理的に言える人
が求められているのに、現実では、相手と協調出来て、角がないコミュニケーションが
評価されている。これを著者は、ダブルバインド(二重拘束)と言っています。
つまり、あべこべです。言っていることと、実際って、違うでしょ!ってことです。
だから、少なくない人が、コミュニケーションに、期待をしなくなります。
平田氏は、「いまの子どもたちには、この「伝わらない」という経験が、決定的に
不足しているのだ。」と言います。まさに、その通りだと思います。こちらが、誠心誠意、心を込めて、
相手に伝えても、それが、相手に伝わるとは限らない。
コミュニケーションとは、案外そんなものだと思いますし、それが、本質なんだと思います。
今は、伝える技術ばかり喧伝されていて、本質的なことを、教えていないし、なかなか経験出来ない
環境にあります。だから、「自分には関係ないし」という、言葉が、若い人から、よく発せられるのではないか
と思っています。
もともと、コミュニケーションって、面倒くさいし、伝わらないことの方が、伝わるよりも圧倒的に多い、
これがわかっていれば、他者と話す上でも、非常に有益なようが気がします。
この本を読んだからって、もちろん「コミュニケーション力」は上がらないですが、そもそも、
コミュニケーションを、能力として、捉える事自体に無理があるんだと、よくわかります。
コミュニケーションは、他者と関わる手段です。道具と捉えている今の風潮は、やはり、
企業が欲しい人材は、「コミュニケーション力」がある人でした。
これは、今もさほど変わっていないでしょう。
でも、この「コミュニケーション力」って、いったい何なのか?
疑問に思い始めたのは、仕事をして、暫らくたった頃でした。
それは、日本で(重宝される)「コミュニケーション力」とは、非常に協調性を重視しているのにも関わらず、
なぜか、求めるものは、自主性だったりします。自分の意見をしっかりと論理的に言える人
が求められているのに、現実では、相手と協調出来て、角がないコミュニケーションが
評価されている。これを著者は、ダブルバインド(二重拘束)と言っています。
つまり、あべこべです。言っていることと、実際って、違うでしょ!ってことです。
だから、少なくない人が、コミュニケーションに、期待をしなくなります。
平田氏は、「いまの子どもたちには、この「伝わらない」という経験が、決定的に
不足しているのだ。」と言います。まさに、その通りだと思います。こちらが、誠心誠意、心を込めて、
相手に伝えても、それが、相手に伝わるとは限らない。
コミュニケーションとは、案外そんなものだと思いますし、それが、本質なんだと思います。
今は、伝える技術ばかり喧伝されていて、本質的なことを、教えていないし、なかなか経験出来ない
環境にあります。だから、「自分には関係ないし」という、言葉が、若い人から、よく発せられるのではないか
と思っています。
もともと、コミュニケーションって、面倒くさいし、伝わらないことの方が、伝わるよりも圧倒的に多い、
これがわかっていれば、他者と話す上でも、非常に有益なようが気がします。
この本を読んだからって、もちろん「コミュニケーション力」は上がらないですが、そもそも、
コミュニケーションを、能力として、捉える事自体に無理があるんだと、よくわかります。
コミュニケーションは、他者と関わる手段です。道具と捉えている今の風潮は、やはり、