失われた近代を求めてIII 明治二十年代の作家達 (失われた近代を求めて 3) の感想
参照データ
タイトル | 失われた近代を求めてIII 明治二十年代の作家達 (失われた近代を求めて 3) |
発売日 | 2014-10-07 |
製作者 | 橋本 治 |
販売元 | 朝日新聞出版 |
JANコード | 9784022512192 |
カテゴリ | ジャンル別 » 文学・評論 » 評論・文学研究 » 作家研究 |
購入者の感想
日本近代文学を解く橋本治の「失われた近代を求めて」シリーズ第三巻で完結編である。
日本の近代文学は浪漫主義と自然主義からはじまって、後はばらばらの派閥でしかないと説く橋本治は、
前近代の滝沢馬琴や井原西鶴のほうがよっぽど浪漫(ファンタジー)なのに、なにゆえ近代文学が「浪漫主義」であるのかと悩む。
その答えは、明治維新に始まる日本の近代が政治の時代であるからだ。
そうして、“「政治に志す」ということは、遠い夜空の星を見上げるようなことである。”(79頁)という橋本節が光る。
橋本治自身は近代文学を特別に好きではない。
他人事だからこそ見えるものがあるのだろう。
漱石の「坊ちゃん」や「猫」の主人公が近代人をあざ笑う前近代人であったことから話をはじめて、
最後は再び漱石に戻って、なぜ「猫」から後の陰鬱な作風になったのかを解き明かす。
“「自由」とか「権利」とかいうものは、それを手にすることによって前近代的な社会を改革して行かなければならなくなる「義務」でもあるからだ。”
なんて、橋本治こそ、近代人の際たるものだろうに。
日本の近代文学は浪漫主義と自然主義からはじまって、後はばらばらの派閥でしかないと説く橋本治は、
前近代の滝沢馬琴や井原西鶴のほうがよっぽど浪漫(ファンタジー)なのに、なにゆえ近代文学が「浪漫主義」であるのかと悩む。
その答えは、明治維新に始まる日本の近代が政治の時代であるからだ。
そうして、“「政治に志す」ということは、遠い夜空の星を見上げるようなことである。”(79頁)という橋本節が光る。
橋本治自身は近代文学を特別に好きではない。
他人事だからこそ見えるものがあるのだろう。
漱石の「坊ちゃん」や「猫」の主人公が近代人をあざ笑う前近代人であったことから話をはじめて、
最後は再び漱石に戻って、なぜ「猫」から後の陰鬱な作風になったのかを解き明かす。
“「自由」とか「権利」とかいうものは、それを手にすることによって前近代的な社会を改革して行かなければならなくなる「義務」でもあるからだ。”
なんて、橋本治こそ、近代人の際たるものだろうに。